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「漫然と野球をやっていた」広岡達朗の指令によりアメリカへ飛んだ工藤公康の“覚醒前夜”

日刊SPA! / 2024年3月13日 15時51分

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『92歳、広岡達朗の正体』が3月14日に発売

現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売前から注目を集めている。
巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。

(以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋)

◆〜西武ライオンズ編 工藤公康 後編〜
米国で目の当たりにした“ハングリー精神”

いよいよ三年目、監督の広岡達朗は若手のホープとして工藤公康に一番期待をかけていた。しかし、思うような結果が出ない焦りからか、工藤はカーブの精度も悪くなり、何より自信を喪失しかけていた。ここで荒療治をしないと、坊やは坊やのまま終わる。そう感じた広岡は、わずか9試合のみ登板させた後、七月半ばにカリフォルニアリーグ1Aのサンノゼ・ビーズに野球留学させた。引率には二軍バッテリーコーチの和田博実がついた。和田といえば、西鉄ライオンズ黄金期に稲尾和久とバッテリーを組んでいたキャッチャーだ。

「ええか、工藤、アメリカ行ったらよう見とけよ」

若い盛りの工藤は、やんちゃなことをしては和田によく怒られた。口うるさい叱咤は、工藤が大きく育つようにと願う和田の親心のようなものだった。

カリフォルニアリーグは、八月いっぱいまで。「アメリカだろうとメキシコだろうと同じ野球をやるんだ」。すべてを強烈に照らす西海岸の真夏の太陽のもと、工藤は萎縮することなく息巻いていたが、そう簡単にことは運ばなかった。

長時間のバス移動は当たり前、微々たるミールマネー(食事代)のため食事は質素。草野球場に毛が生えた程度のスタジアム。日本での自分はつくづく恵まれているんだと実感した。日本では寮に入れば冷暖房完備だし、アルバイトをして生活費を稼ぐ必要はない。寮の食堂に行けば飯はたらふく食べられる。かつては、高卒だったら大体五年間は面倒を見てくれるという不文律があったため、その期間は、完全に野球に没頭できる環境を与えてくれる。しかし、ここはアメリカだ。一週間や一〇日で結果が出なかったら、どんどんクビを切られていく。

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