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45歳で逝った出版社社長の「死を噛みしめた言葉」 本の制作に生きた男が残した1200の投稿

東洋経済オンライン / 2023年12月3日 12時0分

2022年10月25日には3度目の入院となる。料理が趣味の岡田さんはオレンジジュースも口にできないほど体調が悪化していた。吐き気と倦怠感。仕事を続けようにも身体がいうことをきかない。2018年8月に毎日更新を目標に掲げて以来、20日のブランクが生じたのはこのときが初めてだった。濃くなる死の影。ひとまずは、ベッドの上でただ生きることに専念するしかなかった。

11月末、自宅に介護用ベッドを入れて、訪問医療を受ける手はずを整えて退院。やがて、医師から「長くて2カ月、短くて1カ月」と告げられた。

ここに至り、冒頭で引用した「【ご報告】みずき書林の存続について」がアップされる。死後も必ず発生する出版社の業務を妻の裕子さんに委ね、計画中だった書籍企画を著者や編者と相談して中止したり、他の版元に移したりした。自らの手で生きがいに終止符を打つ作業は、並みの決意ではできなかっただろう。この時期、法的拘束力のある遺言書も作成している。

在宅療養を続けながら自ら著者になる

住み慣れた住まいが良い効果をもたらしたのかもしれない。その後に岡田さんの体調は少しずつ回復し、暖かくなるにつれて編集の仕事が再開できるほどに気力を取り戻していった。

このタイミングで、「著者として本を作りませんか?」と提案を受けた。持ちかけたのは2019年8月に1人出版社・コトニ社を立ち上げた後藤亨真さんだ。かつて岡田さんが1人出版社の先達としてアドバイスを送った相手でもある。岡田さんは即座に快諾したという。

後藤さんは「ひとり出版社の閉じ方」という書名で、岡田さんの編集者人生を描くエッセイを提案したが、岡田さんが煮詰めて返信したのはブログをまとめた本の企画書だった。この時点ですでに1100件を超える記事があったため、すべてを書籍にすることはできない。100件ほどを抜粋し、そこに解説文として補足や現在の所感を添えるスタイルで編むというものだ。タイトルは『憶えている』。後藤さんはこの方向で全面サポートすることを決めた。

書籍は時系列で振り返る構成が基本となるが、がんを公表した2021年9月9日の記事だけは、「はじめに」として巻頭に置いた。後に刊行された書籍を開くと、その解説文にはこうある。

<この本にはたくさんの日付が出てくる。そのころあなたは何をしていただろうか。たとえば2021年の9月9日に、あなたは何をしていたか、思い出せるだろうか。
 そしてあなたがこの本を読むときに、僕はどこで何をしているのだろうか。
 あるいはもうどこにもいないのかもしれない。>

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