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2050年のシン・日本経済システムをデザインする 失われた40年回避のための「3つの政策」とは?

東洋経済オンライン / 2025年1月11日 8時30分

外貨不足というボトルネックを打破するために、輸入代替および輸出による外貨獲得は重要であったが、それも、需要のためではなく、資本制約、供給制約の打破のためであった。固定相場制のため、内需が過熱すると輸入が膨らんだが、これを抑えるためには景気を抑制しなくてはならない。金融政策として利上げが必要で、「ストップアンドゴー」と呼ばれる国際収支の天井が存在した。需要政策は、当時は過熱を抑えるために行われていたのだ。

「戦後の日本経済システム」とは何だったのか

一方、第1次オイルショックで景気が悪化すると、官民一体、労使一体となって、インフレを克服、エネルギー不足を克服した。そして、省エネを推進し、供給制約に陥らないようにし、また国際収支を悪化させないようにした。

同時に、原子力発電の技術競争を東京電力と関西電力で争い、エネルギー自給率を上げるという目標とともに、電力会社へ経営の刺激を与え続けた。景気循環への対策は、あくまで長期成長の道筋を腰折れさせないように行われ、メインバンクが不況期でも資金を絞りすぎず、企業に長期投資の継続を促した。欧米には、ここで大きな差をつけ、1980年からの第2次オイルショック後は、世界一の産業国家となったのである。これも供給力の維持、発展のためのシステムであった。

要は、戦後の日本経済システムとは、産業資本、金融資本、外貨、原材料、人材というリソースの制約の下で、供給力を効率的に伸ばす仕組みであったのである。国内資本の蓄積が優先され、国民の貯蓄率を高める政策も行われ、これは東アジアの社会の価値観とも整合的で、多くのアジア諸国の模範となるシステムとなった。

一方、1980年代以降はどうだったか。1980年代はバブルで金銭的には余裕があり、新しいシステムに移行するには絶好の機会だった。だが「円高不況が来た」という間違った認識で時代を受け止め、始まっていたバブルをさらに加速させた。ここに、典型的な誤りが始まっている。

「円高は悪であり、必要なのは需要であり、輸出と需要が何よりも重要だ」ということになった。その後は、円安政策と財政出動での需要喚起政策に終始した。バブル崩壊、構造転換で生じている経済の問題を、需要不足の問題とすり替え、需要を政府が補うことに終始した。

2000年代に入ってもそれは続き、現在まで何も変わっていないどころか、年々悪化している。失われた30年の間、常に需要不足という認識を続け、だから財政出動、金融緩和を続け、永遠に供給力は戻ってこなかった。

「供給力強化こそ重要」という認識が広がってきた

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