特集2017年5月18日更新

スポーツ選手の「第2の人生」

華々しい活躍を見せるスポーツ選手。彼らは引退後、どのような道に進むのでしょうか?多くは指導者など引き続き競技に関わったり、あるいはサラリーマンなど「一般人」になったりしますが、中にはちょっと変わった道に進む人も。そんなスポーツ選手の「第2の人生」を紹介します。

浅田真央が引退!引退後はどの道に?

フィギュアスケートで一斉を風靡した浅田真央選手が引退を表明しました。現役時代は数々の輝かしい成績を残し、そのルックスや性格もあいまって、絶大な人気を誇った彼女。引退後はどんな道に進むのでしょうか?

スポーツキャスター?各局が争奪戦

フィギュアスケートという競技自体が人気競技ということもあり、来年の平昌五輪で彼女を解説者として起用すれば注目度がさらにアップ、ということもあって早くも各テレビ局で億単位のギャラを用意…なんて声もあるようです。

「真央ちゃんの引退に伴って、テレビ各局はフィギュア中継の解説者として彼女を起用したいと躍起になっています。特に来年は韓国で平昌五輪がありますので、そのときの解説者として引っ張り出すためにNHKを含めて争奪戦が早くもはじまっているんです」(テレビ局関係者)

女優転向で朝ドラ「まおちゃん」主役に??

天真爛漫な美しさの中にあどげなさも残したルックス、そしてフィギュアで磨いた表現力で女優転向もあり!?

「真央ちゃんの爽やかなイメージは朝ドラのような老若男女を問わず誰でも楽しめる国民的な作品にぴったりですよ。現役時代は高い表現力が評価されていたし、ヒロインに大抜擢なんてことを期待しちゃいます」(芸能評論家の三杉武氏)
 朝ドラ『まおちゃん』なら、好視聴率は間違いない。

まさかの政治家に???

政治家の中には、その知名度や人脈を期待されてか、スポーツ選手からの転向も少なくありません。真央ちゃんが立候補したら、その人気ですぐ当選してしまいそう。

「柔道の谷亮子選手が引退後の10年に参院選に出馬して35万票を得たように、スポーツ選手は大量得票が期待できる。浅田なら谷以上の得票数が見込める。次の総選挙をにらみ、すでに調査を始めている党もあるようだ。もし政界進出となれば、浅田が引退を迷っているときにアドバイスをしたといわれる日本スケート連盟会長で参院議員の橋本聖子氏の所属する自民党が最有力でしょう。『ゆくゆくはスポーツ庁長官に』なんて声もあがっています」(全国紙政治部記者)

引退後「初仕事」はウォーターサーバーのPR

2017年4月24日(月)、新ウォーターサーバーブランド「Kirala(キララ)」のデビュー記者会見が大名古屋ビルヂングで行われた。会見では「Kirala」のブランドパートナーに就任している、名古屋市出身のフィギュアスケーター・浅田真央さんが登場。この日は引退後の初仕事ということもあり、各地から100社を超えるマスコミが集まった。

本人は「スケートに関わる仕事」にも意欲

また、今後のスケートとの携わり方を聞かれ「今までとは違った形でスケートに恩返しができればいい。子どもが大好きなので、機会があれば(子どもにスケートを)教えていきたい」と明かしていた。

真央さんの引退後の仕事も気になりますが、スポーツ選手は引退後どのような道に進むのでしょうか?通常は、ある程度の実績を挙げた人ならば監督・コーチといった指導者、あるいはスタッフなど裏方など、引き続き現役時代にも関わった競技の道に進むのが大半です。現役時代に名を挙げ有名人となった選手は、その知名度を活かし、芸能人としてテレビで見かける人も少なくありません。その一方で、現役時代とは全く違った道に進んだ人もいます。
それでは、ちょっと変わった「第2の人生」を踏み出した人々を紹介していきましょう。

芸能界で大活躍する元アスリート

増田明美

現役時代の競技は…マラソン選手

成田高校在学中から長距離種目で日本記録を連発、一躍日本陸上界の期待の星として注目されました。1982年には初マラソンで日本最高記録を樹立。1984年のロサンゼルス五輪に女子マラソン代表として出場しました。1992年に現役を引退し、スポーツライター、解説者となっています。

現在は…スポーツジャーナリスト

独特な語り口調と、緻密な取材で選手のプライベートまで調べ上げる「詳しすぎる解説」で人気解説者になりました。また、その柔らかい口調でナレーターとしても数々の番組で活躍しています。

『高校の頃から彼氏がいる』、『好きな食べ物は焼きとりのねぎまでねまーぎぶあっぷという意味を込めている』など、選手の家族構成や趣味、好きな食べ物など「どこで仕入れてきたんだ」というような小ネタを混ぜる解説スタイルが人気。

連続テレビ小説「ひよっこ」のナレーションに抜擢され、その語りに心をつかまれた視聴者が続出。

「おはようございます。増田明美です」という自己紹介から始まった、斬新なナレーション。「今後ナレーションしながらどうでもいいトリビアを入れてくるのでは…」と、細かすぎると評判の増田さんのマラソン解説ばりのナレーションを期待する声も多かった。

篠原信一

現役時代は…柔道家

恵まれた体格と技の切れ味で全日本選手権で3連覇、世界選手権でも2度の金メダルを獲得するなど、数々の輝かしい成績を挙げましたが、彼の名前を一躍、世に知らしめたのは2000年のシドニー五輪での“誤審”騒動でしょう。彼の内股すかしで副審の1人が「1本」の旗を上げたものの、主審は対戦相手の「有効」と判定、銀メダルという結果に終わるものの、一切文句を言うこともなく、破れてなお称賛を受け、今もなお語り継がれています。

 2000年、シドニー五輪での“誤審騒動”で一躍有名となった篠原。100キロ超級決勝でフランスのダビド・ドゥイエと対戦した際に、審判はドゥイエの技を有効と判定。「誤審ではないか」と問題になったものの、篠原は銀メダルという結果に。「審判もドゥイエも悪くない。全て自分が弱いから負けたんです」と、潔いコメントを残したことも、世間を驚かせた。

現在は…タレント

現役引退後、柔道男子日本代表チームの監督や実家の産廃系会社専務なども努めていましたが、一方でその風貌と歯に衣着せぬ語りでテレビ番組でも大人気となっています。

情報番組やワイドショーでのコメンテーター、バラエティ番組や各種イベントのゲストなど引っ張りだこです。なにしろ、190センチの体格とインパクトのある風貌を兼ね備えています
03年に現役を引退した後は、柔道男子日本代表監督を務めるなど柔道界に貢献し、13年3月で指導者を退任。奥さんが取締役を務める産廃系会社の専務となったことが「フラッシュ」(光文社、同年4月30日号)などに取り上げられ、注目を集めた。

今年の4月には、映画『いま、ダンスする』でスクリーンデビューを果たしました。

織田信成

現役時代は…フィギュアスケート選手

現役時代は「猫足着氷」とも呼ばれる安定した着氷の技術とコミカルな表現力で全日本選手権制覇やバンクーバー五輪入賞など、数々の好成績を残しました。「織田信長の末裔」や「キスアンドクライでの号泣」「オリンピックで演技中に靴紐が切れる」など多くのエピソードで人気者となりました。

87年生まれ。大阪府出身。13年12月、全日本選手権において現役引退を発表した。05年NHK杯で初優勝を果たし、08年には四大陸選手権、NHK杯、全日本選手権で優勝した。10年バンクーバーオリンピックでは7位に入賞。

現在は…プロスケーター・スポーツ解説者・タレント

「織田選手はおよそ3年ぶりの競技出場でしたが、4回転+3回転のコンビネーションジャンプを成功させるなど、キレのある演技で自己最高点を上回る178.72点をマークしたんです。織田選手自身も『引退してからまさかの自己ベスト更新なんて、あの涙の引退は何だったんだろう』と笑っていましたが、何とも織田らしい快挙ですよ」(スポーツ紙記者)

解説者やタレントとして、度々感極まって泣き出してしまう光景が話題になっていましたが、「泣き芸」は現役時代からあったそうです。

「泣き芸の芽は現役時代からありました。2007年、酒気帯び運転でバイクに乗って出場停止になった事件から始まり、謹慎が解けて復帰すれば、世界選手権でジャンプを飛びすぎて大減点、五輪では靴ひもが切れて、とこれらイベントのたびに大泣きしていました」
「ところが、その泣きの豪快さに目を付けた民放の番組プロデューサーがいたんです。彼はカメラテストでネットからダウンロードした感動ビデオを見せたところ、織田が面白いように泣いたので唖然としたとか」
(中略)
「そこで、『織田君、本番でもこのくらい泣けるかな? これは君しかできない名人芸かもしれないよ』と聞くと、彼は『汗より涙のほうが自然に出ちゃいます』と答えたそうです」

2017年4月11日に記者会見を行い、関西大学大学アイススケート部監督に就任を発表。

 関西大学は、宮原知子選手が所属し、高橋大輔を輩出しただけでなく、浅田のコーチの佐藤信夫氏や佐藤久美子氏も卒業している、スケートの名門中の名門だ。
「アイススケート部のフィギュアスケート部門には宮原選手のほか、本田真凜選手の兄である本田太一選手も在籍。優秀な選手も多く、『海外の選手と闘ってきた経験を伝えていきたい』と織田も意気込んでいます。それでも、この部は大学からスケートを始める人も大歓迎なため、初心者も少なくありません。宮原選手は織田の就任を受けて『織田さんの新監督就任により、より明るく、笑顔の絶えない部となることを期待』とコメントしています。織田のキャラなら厳しい指導というより、選手に受け入れられるタイプの監督になりそう。大学は織田監督就任で、どっと人が押し寄せてうれしい悲鳴になるんじゃないでしょうか」

政治家や実業家として活躍する元アスリート

鈴木大地

現役時代の競技は…水泳選手

現役時代は水泳選手。ソウル五輪の男子100m背泳ぎで金メダリストを獲得。「バサロ泳法」はブームとなりました。ソウル五輪時、決勝を前に作戦を聞かれ「秘密!」、金メダルを獲得した直後のインタビューで「嬉しいに決まってます」と答えるなど、その独特な言動が注目されることもありました。

現在は…スポーツ庁長官

2020年の東京五輪・パラリンピックまで、残すところ約1200日。五輪を見据えた選手の強化育成と、スポーツの普及・振興に向けて一昨年の10月、文部科学省の外局として設立されたのがスポーツ庁だ。
設立と同時に初代長官に就任したのは、1988年のソウル五輪・競泳背泳ぎ金メダリストである鈴木大地氏。

谷亮子

現役時代の競技は…柔道家

女子48kg級で世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、オリンピックで、5大会出場し、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得という日本柔道史に燦然と輝く成績を残し、日本中に「ヤワラちゃん」ブームを巻き起こしました。

 五輪の申し子である谷亮子は、旧姓の田村亮子時代から名セリフを連発した。

「最高でも金、最低でも金」(00年、シドニー)
「田村で金、谷でも金」(04年、アテネ)

 その言葉どおりに谷亮子は、女子柔道48キロ級で連覇を達成。

現在は…政治家

2010年に民主党(現・民進党)から参議院選挙比例代表候補として立候補、初当選を果たしました。当時はまだ引退を表明しておらず、現役柔道家として国会議員になったことになります(2012年に正式に引退表明)。その後民主党を離脱、政治の師である小沢一郎氏とともに「国民の生活が第一」を結党(現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」)。生活の党時代は党副代表兼参議院幹事長も務めました。

橋本聖子

現役時代は…スピードスケート・自転車競技選手

スピードスケートの女王として、日本人初の世界選手権総合銀メダルや4度の冬季五輪出場、1992年アルベールビル五輪女子1500 m銅メダルなど、幾多の輝かしい成績を収めました。また自転車競技でも3度の夏季五輪に出場。合計で7度の五輪出場は男女あわせても日本人最多という、日本の歴史に残るアスリートの1人でした。

1984年のサラエボ冬季五輪を皮切りに、カルガリー冬季五輪(1988年)、ソウル夏季五輪(1988年)、アルベールビル冬季五輪(1992年)、バルセロナ夏季五輪(1992年)、リレハンメル冬季五輪(1994年)、アトランタ夏季五輪(1996年)と連続出場を続け、アルベールビルではスピードスケート女子1500mで銅メダルを獲得しました。
 最後の大会となったアトランタでは、現職国会議員として自転車競技2種目に出場し、12位と9位という成績を残しています。

現在は…政治家

1995年、参議院議員通常選挙の比例区に自民党から立候補し初当選。当時はまだ現役選手であり、国会議員となった後もアトランタオリンピックにも出場しました。引退後、参議院議員として初の出産、自由民主党副幹事長や外務副大臣も経験。現在は自民党参議院議員会長に就任しています。

高松大樹

現役時代は…プロサッカー選手

元五輪代表・日本代表で、長年大分トリニータのエースストライカーとして活躍。「ミスター・トリニータ」の愛称で親しまれていました。

 2000年に大分でプロ生活をスタートさせた高松氏は、11年にFC東京への期限付き移籍を挟み、16年まで大分でプレー。Jリーグ通算364試合に出場して75得点を記録

現在は…市議会議員

2016年に引退表明をした直後の2017年1月、大分市議会に立候補。トップ当選を果たしました。

1月10日に無所属での立候補を表明。定数44に対して49人が立候補した大分市議会議員選挙は19日に投開票され、高松氏がトップ当選を果たした。

都築龍太

現役時代は…プロサッカー選手

ガンバ大阪・浦和レッズのゴールキーパーとして、Jリーグで250試合に出場。数々の輝かしい成績を残しました。

1997年、ガンバ大阪に加入。2001年には日本代表に初選出される。2003年には浦和レッズに移籍し、Jリーグ優勝・天皇杯2連覇・AFCチャンピオンズリーグ優勝・FIFAクラブワールドカップ3位入賞などに貢献し、Jリーグベストイレブンを受賞した。2010年に湘南ベルマーレに移籍した後、2011年をもち現役を引退した。

現在は…市議会議員

2010年シーズン限りで現役を引退。翌年、統一地方選で県議選に出馬していたが、落選していた。今回、市議選に当選し、念願の議員生活をスタートさせることになった。

松谷竜二郎

現役時代は…プロ野球選手

読売ジャイアンツに1988年ドラフト2位で入団。この年のドラフトには広島の野村謙二郎、横浜の谷繁元信、中日の今中慎二 などそうそうたる顔ぶれが並んでいます。巨人入団後は2軍で2度のノーヒットノーランやジュニア日本選手権でのMVP獲得など期待されましたが思うよううに勝星を挙げることが出来ず近鉄に移籍。しかし怪我もあり2年で戦力外に。プロとしての成績は4勝にとどまりました。

現在は…実業家

引退後、巨人時代の監督・藤田元司の口利きで建設会社に入団。つらい経験をしながらも努力の末独立。その後代表取締役となり、現在では100億円に迫る勢いにまで会社を育て上げました。

現役時代は二軍の帝王として活躍するも、右肩の故障で引退。会社員に転身し、2003年から社長に就任。年商は約40億円とのこと。

葛城育郎

現役時代は…プロ野球選手

オリックスブルーウエーブ(現・オリックスバッファローズ)に外野手として1999年ドラフト2位で入団。その後阪神に入団、お立ち台での絶叫が公式でTシャツ化されるなどして人気を博しました。

現在は…飲食店経営者

物件探しから開業準備まで自身でこなし、阪神西宮駅からほど近くに、「酒美鶏 葛城」を2013年にオープンさせる。仕入れ時代に構築した人脈を活かし、新鮮な朝引き地鶏を溶岩プレートで客側が焼くというスタイルが人気を博し、オープン4年目を迎えた現在は、女性客や、地元の固定客にも支持される人気店となっている。

嵜本晋輔

現役時代は…プロサッカー選手

1982年、大阪府出身。関西大学第一高校卒業後、Jリーグ「ガンバ大阪」への入団と同時に関西大学に進学。2001年~2003年までガンバ大阪に在籍の後、2004年からはJFL佐川急便SCに在籍

現在は…実業家

引退後、父が経営していたリサイクルショップで経営のノウハウを学び、2007年にはブランド買取専門店 「なんぼや」を関西にてオープン。2009年には東京進出を果たした。2011年 株式会社SOUを設立し、同社代表取締役に就任。「なんぼや」の他、予約もできる買取専門店「BRAND CONCIER(ブランドコ ンシェル)」、BtoBオークション事業「STAR BUYERS AUCTION(スターバイヤーズオークション)」、 BtoC販売事業「BRAND RESALE SHOW ZIPANG(ブランドリセールショー ジパング)」「ヴィンテージセレクトショップ ALLU」を展開し、事業を拡げている。

意外な道に進んだ元アスリート

城島健司

現役時代の競技は…プロ野球選手

捕手として福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)に1994年ドラフト1位で入団。3年目からレギュラーになり、強肩強打の捕手としてチームを引っ張りました。2003年には3割30本を記録、チームの日本一に大きく貢献しました。その後メジャーリーグに挑戦、シアトル・マリナーズと契約し日本人捕手として初のメジャー選手になりました。レギュラーとして活躍していましたが怪我もあり日本に復帰、阪神で活躍後2012年に引退しました。アテネ五輪や第2回WBCなど日本代表にも選ばれ、4番を務めることもありました。

現在は…釣り師

2013年4月に九州のローカル局で釣り番組を担当。さらに、2014年10月にはCSのTBS系でも放送枠が拡大されています。

プロ野球・福岡ダイエーホークスなどで活躍し、捕手として日本人選手史上初のメジャリーガーとなった城島健司が、バットを釣竿に持ち替えてファンの前に帰ってきた!“釣りから始まる情報番組”をコンセプトにした、城島自らが番組をプロデュースするこだわり満載釣り番組、その名も「城島健司のJ的(城島的)な釣りテレビ」通称:JTV。RKB制作、九州地区で大人気の番組が、遂にTBSチャンネルにて日本全国でオンエア!

釣り好きが高じて古巣ホークスの臨時コーチを断り、球団を怒らせたことも…

「実は城島氏サイドから、臨時コーチをやらせてほしい、と球団に打診があったのに、まるで球団が熱望したかのように報道された」
「要請を受けて、球団はその調整をしていたにもかかわらず、城島氏は自身が出演する釣り番組などのスケジュール調整をしていなかった。これには王貞治球団会長(76)も『もう臨時コーチなんかやらせるな!』と激怒しました。これで野球界から距離を置いていた城島氏の球界復帰は、ますます遠のきましたよ」

新庄剛志

現役時代は…プロ野球選手

阪神タイガースに外野手として1989年ドラフト5位で入団。華やかなルックスと華麗な守備と強肩、チャンスに強いバッティングで人気者に。「敬遠のボールを打ってサヨナラ」「二刀流に挑戦」「契約更改の会見で突然の引退宣言」など数々のエピソードを残しました。2001年にはメジャーに挑戦。ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツなどで活躍しました。2004年に日本ハムファイターズに移籍し日本復帰、「これからはパ・リーグの時代です」などの数々の発言やファンサービス、またオールスターでのホームスチールなどで絶大な人気を博しました。

阪神タイガースやニューヨーク・メッツなど、日米4球団を渡り歩いた名選手。独特の発言や、試合前のド派手なパフォーマンスなどで、球界一のエンターテイナーとして長年ファンから愛されてきた。

現在は…インドネシア・バリ島に在住

引退後はバリ島に移住。当初は現役時代に稼いだお金で悠々自適の生活を送っていたようですが、その後知人に騙され大金を失ったと告白しています。

17年の現役生活で稼いだのは総額44億円。現役を引退し、大好きなバリ島で一人暮らしをしようと決心し、「お金を全部持っていこう」と思いA氏を訪ねて残高を確認すると、22億円あるはずが、なんと2200万円しか残っていなかったことが判明
その後、「返してほしいと言っても拒否」された新庄はA氏相手に裁判を起こしたものの、2012年にA氏が自己破産したため、結局8000万円しか返ってこなかったと明かした。

番組では、現地の暮らしぶりも放送されていました。

 番組では現在の新庄の生活に密着したVTRを放送。バリ島でスクーターに乗り、自分で使う分だけの預金をATMで引き出し、スーパーでフルーツを買うといった清貧生活を送る様子を映し出していた。

條辺剛

現役時代は…プロ野球選手

読売ジャイアンツに投手として1999年ドラフト5位で入団。主に中継ぎとして活躍しましたが、肩の怪我もあり2005年、24歳の若さで現役引退しました。

現在は…飲食店経営

「引退後、ジャイアンツの先輩の水野(雄仁)さんに声を掛けてもらったのがきっかけです。水野さんの知り合いの店で働かせてもらったら、想像以上にうどん作りが面白かった。その後、香川県の店で修業し、2008年に独立しました」

水尾嘉孝

現役時代の競技は…プロ野球選手

大洋ホエールズ(現・Dena横浜ベイスターズ)に投手として1990年ドラフト1位で入団。当時の最高金額となる契約金1億円が話題になりました。しかし思うような成績を残せず、1勝も挙げられないままオリックスにトレード。中継ぎとしてある程度の実績は残しますが、怪我にも苦しめられその後西武、アメリカと渡り歩き、2006年に引退しました。

現在は…イタリアンシェフ

引退後、洋食屋のアルバイトや料理学校を経てイタリアン料理店で修行。独立し現在は東京でオーナーシェフを務めています。

 1990年ドラフト1位で大洋(当時)に入団した水尾嘉孝(47)は現在、東京・自由が丘にあるイタリアンレストラン『トラットリア・ジョカトーレ』のオーナーシェフだ。料理経験はほとんどなかったが、37歳で引退した後すぐに料理学校に入学。一人前になるまで10年はかかるといわれるプロ料理人の道を選ぶことに躊躇はなかった。

貴闘力

現役時代は…力士

1967年9月28日、神戸市兵庫区生まれ。83年夏場所に初土俵を踏み、90年秋場所に新入幕。翌年の名古屋場所で関脇に昇進。93年に大鵬親方の三女と結婚。00年春場所では、前頭14枚目で、史上初となる幕尻優勝を果たす。02年秋場所にて現役引退。

現在は…飲食店経営

2016年4月20日放送の「バイキング」(フジテレビ系)の芸能人が経営しているお店のオーナーを当てるコーナーで、貴闘力がプロデュースする寿司屋「すし力」が紹介されました。

都営大江戸線門前仲町駅6番出口から徒歩6分ほど、地下鉄東西線門前仲町駅1番出口から徒歩8分ほどにある同店は、元大相撲力士の貴闘力さんがプロデュースする産地直送江戸前寿司のお店。産地直送の新鮮なネタを使用したこだわりのお寿司が楽しめる。

華やかな世界ばかりではない元プロ選手の「第2の人生」

ここまで紹介したのは、ごく一部の「異分野で第2の人生を成功させたアスリート」であり、全体から見るとほんの一握りの数です。
「じゃあ他の人は引き続きその分野の、例えばコーチになったりするのかな?と思われるかもしれませんが、そうでもありません。例えばプロ野球選手の場合、野球に関わる仕事と言えばプロ野球、独立リーグ、アマチュアチーム、あるいは少年野球の監督・コーチ、テレビやラジオ、新聞などの解説者などでしょうか?そういった仕事に就ける元選手は、全体から見るとせいぜい1割程度といいます。タレントや実業家といった仕事も、テレビなどメディアで目にするのは成功者ばかりのため、引退後も華やかなイメージを持つかもしれませんが、そうでない道に進む人が大半なのです。

例えばかつて「G.G.佐藤」の登録名で西武などで活躍日本代表にも選ばれた佐藤隆彦(元)選手は、明るいキャラクターから知名度も高く、コーチとまではいかなくてもタレントや解説者などの道もあったかと思われましたが、現在は実家の会社でサラリーマンとして働いています。

2014年10月5日に戦力外通告を受け引退した、“G.G.佐藤”こと佐藤隆彦氏36歳は、同年中に父親が社長を務める測量会社に入社した。所属部門は開発営業部で、肩書きはマネージャーだ。
プロ時代は、埼玉西武ライオンズで右打ちのスラッガーとして活躍、イタリアプロ野球を経て千葉ロッテマリーンズへと渡った。2008年の北京五輪では代表選出されるなど、球界を代表する選手の一人だった。
そんな彼は現在“社会人”として慣れないデスクワークに悪戦苦闘しながらも、測量士補の資格を取得すべく勉強しているという。

またこの記事では、日本ハムや横浜などで活躍、明るいキャラクターで人気を博した森本稀哲(元)選手が現在サラリーマンになっていることが紹介されています。
彼らはまだ、自分の意思で引退後の道を切り拓き、頑張っていますが、基本的にスポーツエリートは大半が小さな頃からその競技一筋で、ましてプロになれば大半の雑務は会社やマネージャーがやってくれるため、その道で成功しなければ他に選択肢もない…という選手もいるのです(とある選手が、引退したら電車の切符の買い方もわからなかった…というエピソードも聞いたことがあります)。
また、競技者としてうまくいっているときには、メディアやファンにちやほやされ、大金も手にしているので華やかな生活に慣れきってしまい、成功者としての肩書を失った時に処世がわからなくなる人もいるようです。
典型的な例が覚せい剤で逮捕された清原和博(元)選手。また最近、「がに股打法」で人気を博した、種田仁(元)選手の転落ぶりが話題になりました。

大阪の上宮高校で元巨人の元木大介と同学年で、1989年のドラフトで中日に入団。見たら忘れられないガニマタ打を考案後は、記憶にも残る選手として大人気だった。横浜時代は2004年と2005年に3割を打ち、年棒も1億円を超えた。

種田は引退後、楽天のコーチとなりましたが、「一身上の都合」で自主退団しています。もともと現役時代からギャンブル癖や女性問題について報道されたこともあり、楽天の退団時には、自己破産との報道もありました。そして2016年11月には道路交通法違反で逮捕の報道。ネットでは彼の肩書きや現状が話題になっていました。

アスリートの引退後におけるセカンドキャリア支援の取り組み

日本プロ野球機構や日本プロサッカー選手会といった組織主導で、現役選手を対象に「セカンドキャリア」についての体験会や講習会を行っているところも少なくありません。また最近では、民間の企業からも選手のセカンドキャリアをサポートする動きがあるようです。

セカンドキャリア支援の取り組み

「酒美鶏 葛城」

上の項目でも紹介した、元阪神の選手でもあった葛城育郎さんが経営する「酒美鶏 葛城」では、元プロ野球選手が従業員としてを雇うことで、第2の人生を支援しています。

 葛城のもとには、元プロ野球選手や高校球児など野球関係者が相談に訪れる。実際に現在のスタッフでもプロを目指し野球に打ち込んだ球児、元プロ野球選手達が店舗で日々汗を流している。
「酒美鶏 葛城」はFC展開も行っており、心斎橋店には元阪神投手の水落暢明が店頭に立つなど、引退後の選手達に新たな通筋を示している。

葛城さんは自身が成功例となり、セカンドキャリアの選択肢の1つになれたらと理想を語っています。

「野球を通して学べることは、1人じゃ何もできないということ。監督やコーチ、チームメイトなどたくさんの人に支えられているということを忘れなければ、引退後も困らないとは思います。ただ、最初の一歩を踏み出す勇気がなかなか持てないという話しも耳にします。別に飲食店でなくても良い。でも、僕の所を尋ねてくる人達が最初の一歩を踏み出すキッカケとなってもらえるように出来る限りのことはしたいですね。そこには元プロや、そうでない選手も関係ない。何とか僕自身が成功例となり、選手達に選択肢を与えることができれば理想的です」

「野球の力」

「野球の力」という、野球選手に特化した就職支援と就活イベントを行うサービスもあるようです。このサイトに参画しているキャリアコンサルタントの城友博氏も元プロ野球選手からの転身です。

キャリアコンサルタントとして、元ヤクルトスワローズ・阪神タイガースで活躍した城 友博氏(※1)が参画しており、野球部に所属する学生、及びプロ野球選手や実業団に所属する選手のセカンドキャリアの就職支援など、過去10年間でプロ・アマのべ7千人以上のコンサルティング実績を誇っております。また、一般財団法人東都大学野球連盟(※2)(21大学加盟 2016年12月現在)などと連携し、多くの野球部学生の支援をしております。

「クーバー・アカデミー・オブ・コーチング」

サッカー「選手」としての引退後、指導者として引き続きサッカーに関わる仕事をしたいと思っている選手を対象に、サッカースクールの指導者を養成・育成をするための専門機関もあります。

「サッカーを仕事にする」をテーマに、サッカースクールの指導者を養成する指導者養成機関「クーバー・アカデミー・オブ・コーチング」を開校しており、このたび19期生の募集となります。
当機関では、1年間かけて実技、講義の専門プログラムが組まれており、1学期ではサッカーの技術・戦術理論はもちろん、生理学、解剖学、心理学、栄養学などコーチに必要となる様々な分野の講義が受講でき、2学期ではそれらを基礎としてクーバー・コーチング・メソッドを習得し積み上げていきます。 3学期では更に1、2学期で習得した知識と実践を土台として、スクールやクリニックなど様々な現場で実際に運用していけるようにカリキュラムがデザインされています。
近年、プロスポーツ選手の引退後のセカンドキャリアを支援する取り組みが注目される中、クーバー・コーチング・ジャパンでも本取り組みにて、サッカースクールコーチとして「サッカーを仕事にする」ための支援を目指します。

「イーキャリアNEXTFIELD」

今年からプロリーグ「Bリーグ」が発足した日本バスケットボール界。ソフトバンクグループが運営する「イーキャリアNEXTFIELD」では、バスケットボール選手のセカンドキャリアを支援するサービスを行っています。

日本バスケットボール選手会所属選手は、キャリア支援サービス「イーキャリアNEXTFIELD」を利用でき、専用サイトでいつでも引退後のキャリア形成に関する情報を収集することができます。
また、条件を満たした引退選手も「イーキャリアNEXTFIELD」を利用でき、気になる求人があればキャリアコンサルタントが就職までのサポートを行います。選手も採用検討企業も全て無料でご利用できます。
今後はこうしたサービスの拡充を図っていくことによって、現役中からセカンドキャリアへの意識を育んでいきます。

考えてみれば一流アスリートというのは、肉体的な能力だけでなく、頭の回転も早い人が多いですから、芸能界でもてはやされるのも少しも不思議ではないですよね。ただ、そういった機会が与えられた人以外にも、引退した後に再びチャンスが来るような仕組みはもっと必要かもしれません。何しろ、現役引退してからの方が、人生は長いわけですし。