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【後編】「ラヴィット!」で話題“ヨギソダイブの通訳さん”は何者か? 取材したら波乱万丈な人生で面白かった話

映画.com / 2024年3月26日 8時5分

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小学6年生、韓国舞踊団でのみょんふぁさん

 2024年1月23日放送のTBS系情報バラエティ「ラヴィット!」で、特大のバズを巻き起こした“みょんふぁ”さん(通訳・司会・翻訳・ナレーター・女優)。インタビュー後編をお届けする。

 前編では「ラヴィット!」の反響や、「親に嘘をついて高校1年からピアノを始めて大阪芸術大学に入った」というエピソードなどを聞いたが、後編ではみょんふぁさんの「そんなことあるんだ」という波乱万丈な人生、そして「“女優で活躍したい”というこだわりを捨てたら、逆に女優の道がひらけてきた」という興味深い仕事論などを取材した。(企画・編集・取材・文/尾崎秋彦)

 ※前・後編の2回にわけて掲載。本記事はその後編です。

 >>前編はこちら

●大阪芸術大学を卒業後、阪神淡路大震災がきっかけで語学を仕事に

 ――みょんふぁさんの人生が面白くなってきたので、続けて質問します。大学卒業後はどのような進路に進みましたか?

 みょんふぁ:卒業して、晴れて演劇の世界へ……と思っていたら、結婚したんです。そのあと、阪神淡路大震災がありました。そこでラジオの番組をやらないかとお話をいただいたんです。当時、被災地の人たちの生活情報の、外国語の番組がなかったんですね。日本語がわからない人たちに、生活情報を届ける必要がありました。電気も復旧していないからテレビはつかないので、ラジオで。

 いろんな国の人たちに発信するための、「FMわぃわぃ」という番組です。私は韓国語担当で、2時間ぐらいのコーナーを持ったんです。ですが、そのときはまだ韓国語がしゃべれる状態じゃなかったんですよ(笑)。

 読み書きはできましたが、私は在日三世で、両親も韓国語は話せなかった。それでも勉強しながらやって、ついでに「韓国語を勉強しよう!」みたいなコーナーを作って。

 そこから翻訳の仕事や、日本語・韓国語の司会やナレーターをやるようになりました。30歳前くらいに離婚して、ニュージーランドに住む叔父が「『男はつらいよ』のミュージカルをやる」というので1年間ニュージーランドへ行き、営業と振り付けと演出を担当し、日本へ帰ってきたタイミングで一発目の韓流ブームがやってきました。

●転機は一発目の韓流ブーム 司会・翻訳・通訳として幅を広げるが、思いは「女優と言いたい」

 ――「冬のソナタ」や、2002年のサッカー日韓ワールドカップですね。

 そこで司会の仕事が増えたんです。ドラマなどのイベントでも、司会者も韓国語がわかるバイリンガルがいい、ということで私に依頼がきたんですね。イベントの通訳は別の方にやっていただいたりして、そして自分でも勉強を続けるうちに、どんどん(言語が)ブラッシュアップされて。それで通訳もやるようになっていきました。だから私、専門的な教育・訓練を受けたわけじゃないんですよ。

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