「平成31年の年賀状」団塊の世代の物語(3)
Japan In-depth / 2024年4月11日 21時43分
牛島信(弁護士・小説家・元検事)
【まとめ】
・「世の中の役に立ちたい」という願いは、弁護士として、文章書きとしてそれなりのことをしてきた。
・石原慎太郎さんは話題にならなくなったが、私の大脳のなかで生きている。
・石原さんが「今は自分の死にしか興味はない」と言っていた。他人事ではない。
最初の記憶はいつのことなのか。
2歳か3歳のときです。30代の父親が私を両腕に抱いて、腰より下くらいまでの海に立っていました。水につけられた私は、とても怖くて声をあげて泣いていました。
その周囲を6歳上の兄が平泳ぎでニコニコしながら泳いでいた、その光景。
福岡県の若松、玄界灘に面した小石海岸でのことでした。
小学1年生で東京の豊島区に移り、5年生で広島の人間になりました。
往時茫々。
もうしばらく生きているつもりです。その間に、少しでも世の中の役に立ちたいものだと思います。仕事で、私的生活で。
遂に片脚で椅子から立ち上がることができるようになりました。相変わらずの野心家なのです。
以上
そうか、平成という年号があったのだったと、いまさらのように思う。まだたったの6年だというのに、ずいぶんと昔のことのようだ。
私が生まれたのは昭和だった。替わるまでは昭和を意識したことはなかった。あたりまえのように昭和で、それしかなかったのだ。それがとつぜん平成に替わった。覚えている。その日、私は築地にあった金扇という名の和食屋にいた。上品な老年の女将がいるお店だった。天皇陛下の崩御を知っていたから、1989年といっても、もう平成だったのだろう。新大橋通りに面したしゃれた料理屋だった。なんども、いろいろな人とかよったが、いまはもうない。
最初の記憶。
「30代の父親がいた」んだった。そうだった。
同じ父親が「東京の豊島区」の鉄筋アパートの前にある広場でボールをやさしく放り、私がバットを振り回していたこともあった。バットを握って歯をくいしばっている私の写真があったのを憶えている。東京でのことだから10歳かそれ以前。父親は45歳だろう。
若い。なんとも若かった。
玄界灘に面した小石海岸では、編み目の袋にいれた大量のサザエをぶらさげている人を見た記憶がある。羨ましかった。あの海岸には何回いったのだったろうか。6歳の夏まで小石海岸の近くに住んでいた。一人で行ったことはないはずだ。ヒトデをはじめて見たのもあの海岸だった。鮮やかな色彩だったが、食べられないんだよといわれた。ヒトデを口に入れてためしてみた気もするが、やはりそんなことはしたことはなかったのだろう。
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