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『ドラクエ4コマ』が面白かった理由を中井一輝先生が語る ガンガン作家との思い出も

マグミクス / 2020年1月22日 17時10分

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■中井一輝先生が語る、『ドラクエ4コマ』が「うまかった」理由

 1990年に第1巻が発行され、続々とシリーズが発売した『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』(以下、ドラクエ4コマ)では、読者投稿の企画からも多数の人気作家が生まれました。黎明期に活躍した柴田亜美先生が絶賛した投稿者だった、中井一輝先生。プロデビュー前から存在感を放ち、「月刊少年ガンガン」「月刊少年ギャグ王」に掲載されたオリジナル作品でも読者を笑わせました。

 当時、他社からもゲームを題材にしたコミックスが発行されていたものの、エニックス(現:スクウェア・エニックス)の『ドラクエ4コマ』をはじめとする『4コママンガ劇場』は突出した人気を誇っていました。

『ドラクエ4コマ』が今も愛される理由や「月刊少年ガンガン」作家陣との思い出について、中井一輝先生にお話を聞きました。

* * *

ーー投稿者時代から先輩作家や編集者と親しくされていたそうですが、プロデビューのきっかけは?

 読者投稿作品だけを集めたコミックス『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 4コマクラブ傑作集』に掲載された作品がアンケートで1位だったからというのが、編集部からの説明でした。

 ただ、「プロデビュー」という形になったのはそれだけが理由ではなかったようです。聞いた話なので本当かどうかは分かりませんが、当時は読者作品を投稿コンテンツにするか、後の「4コマクラブ」のような賞レース的なものにするかで編集部内の意見が分かれていたそうです。

 そんななか、『ドラクエ4コマ』の常連投稿者の人たちに他の出版社から「うちにも投稿してよ」というような連絡が入ったり(私のところにもきました)、そもそも他と掛け持ちで投稿している常連さんもいたりしたので、そういう人たちをホールドする意味もあって「プロデビュー」という形になったようです。

 実際の契約はホールドする形にはなっていなかったので、「うちはあなたをこれだけ大事にしますよ! 評価しますよ!」的なやり方だったのだと思いますが、その後のゲームアンソロジーコミックの盛り上がりを考えると、うまいやり方だったんだなあと感心します。

■「エニックス系」作品ににじみ出る、作家同士の親しさ

「月刊少年ガンガン」に掲載された『一撃必殺!!一発屋劇場』(中井一輝先生提供)

ーー「楽屋裏」でタイジャンホクト先生と仲が良いと書かれていました。他の作家との交流は?

 私が執筆していた当時は『ドラクエ4コマ』の発行ペースもそこまで早くはなかったので、1冊発行されるごとに打ち上げがあって、居酒屋でやるんですけれど「中井くんは未成年だからジュース」が定番で。本当に色んな編集さんや先生方からいじっていただけました(笑)。

 作家同士の交流は盛んだったと思います。当時未成年だった私は、その物珍しさもあってか色んな作家さんたちから遊びのお誘いをいただきました。

『ドラクエ4コマ』の作家でいうと、石田和明先生、きりえれいこ先生、新山たかし先生たちのお花見に参加させてもらった思い出があります。

ーー「月刊少年ガンガン」の作者コメント欄で、「編集に内緒でガンガンの作家さんたちとディズニーランドに行った」と書かれていた号がありました。

 当時はTwitterやLINEはおろか、メールすらない時代で、作者同士のやり取りは主にFAXで、イラストや文章を書いて送り合っていました。

 柴田亜美先生が『ハーメルンのバイオリン弾き』の渡辺道明先生宛のFAXに何気なくミッキーマウスっぽいイラストを描いたんです。それに対して渡辺道明先生が「ミッキーはこんなじゃなかったっけ?」と描いて返して、そのやり取りが作家同士で回覧板のように回ってきました。

 マンガを描くために上京して来て、ディズニーランドに行ったことがない作家さんも多かったので「じゃあ実際に行ってミッキーを確かめてみよう」と。他に『ZMAN』の西川秀明先生、『突撃!パッパラ隊』の松沢夏樹先生など、そうそうたるメンバーが勢揃いした「ディズニーランド遠足」にタイジャンホクト先生や私もお呼ばれしました。

 編集部に秘密にして遊んだのは、集まるのを禁止されていたわけではなくて、季節的に「年末進行なのに遊んでいる」と思われるのを気にしてのことです(笑)。

 お花見もディズニーランドも、編集部の企画ではなく、作家同士でスケジュール調整して開催していたのだから、かなり仲の良い集団だったと言えるのではないでしょうか。

『ドラクエ4コマ』をはじめとしてギャグマンガが多かったこともあってか、制作現場の空気感や、仲の良い雰囲気がなんとなくにじみ出ているのが当時の「月刊少年ガンガン」や「月刊少年ギャグ王」などエニックス系雑誌のカラーの一要素になっていて、それも人気の一部だった気がします。

■『ドラクエ4コマ』が今も愛されるのはなぜ?

『ドラクエ4コマ』黎明期の作家・石田和明先生が表紙を担当した『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 ガンガン編』第3巻(撮影:マグミクス編集部)

ーー「マグミクス」で柴田亜美先生と並び「四天王」と呼ばれた作家、石田和明先生のインタビュー記事を掲載した際、大きな反響がありました。今でも愛されている『ドラクエ4コマ』というコンテンツについてどう思いますか?

 素晴らしい「場」だったと思います。

 マンガ業界の視点でみると「四天王」のような凄い才能と技術を持ったプロ作家が何人もいて、そこに本気で賞レースに取り組む熱き漫画家のタマゴたちが次々加わっていくという、まさに『バクマン。』(集英社)みたいな世界観です。

『ドラクエ4コマ』が凄いのは、そこに、私のようなウケたがりや、作品愛が原動力のファン指向の人たち、純粋にゲームやマンガが好きな子供たちなど、いろんな人が当事者として共存していたことだと思います。

ーー確かに「4コマクラブ」に掲載された方の会員番号だけでも1000以上。選を逃した投稿者の数ともなるとその何倍、もしかしたら何十倍になるかもしれません。

 そういう「場」だったから参加者全員に役割があり、それぞれに、喜び、楽しさ、苦しさなどの「当事者としてのドラマ」が生まれ、それが『ドラクエ』という国民的な作品を通じた「受け手のドラマ」とリンクしていることが、今でも思い出が語られ続ける根強い人気の理由なんじゃないかと思っています。

ーー実現の可否はさておき、個性豊かな『ドラクエ4コマ』の作家がもし再び集結したら、どんなことができそうでしょうか?

 想像もつかないです。10年くらい前にTwitterを始めたところ、それまで交流のなかった金田一蓮十郎先生や、幸宮チノ先生、堀口レオ先生などともつながることができ、ありがたいことに、一緒に遊びにいったりお話を聞かせていただいたりできるようになりました。本当にみんな発想力がハンパじゃないし、人間性も素晴らしい方たちばかりです。

 本当に全員が集まったとして、例えばそれでオリンピックの演出をやれば、世界中がびっくりするようなユニークな開会式や閉会式になって歴史に残ると思うし、街ブラすればありえない珍事がありえない確率で連発する奇跡のムービーが撮れると思います。

 なんせ「集まれば何かが起こる」のは間違いないと思いますし、一体何が起きるのか私も興味があるので、いつかそういう日が来ることを期待しています。

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(マグミクス編集部)

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