『日本国紀』は歴史修正主義か? トランプ現象にも通じる本音の乱――特集・百田尚樹現象(3)
ニューズウィーク日本版 / 2019年6月27日 17時0分
賀茂は私の取材にこう話す。「90年代に『自虐史観』という言葉が広がってから、WGIPも広がるようになりました。ですが、占領期の多くの資料を見るとそもそもWGIPという言葉は、GHQの一文書にしか使われていないものです」
歴史学では、1つの史料だけに依拠せずさまざまな史料を付き合わせて、矛盾はないか、正当な記述と言えるかを検証する。右派が「洗脳説」の根拠とする文書は1948年2月に出されたもので、日本人に東條英機を賛美する動きがあることを理由に「新たな施策を行うべきだ」という勧告にすぎないものだった。ポイントは「勧告に沿った施策は大半が実行されなかった」ことだ。
実行していない政策の影響力は評価のしようがない。研究で分かったのは、当時GHQの担当者たちが重視していたことの1つは、日本軍による連合軍の捕虜虐待や、マニラで行った虐殺行為を知らせることだった。「日本人は戦時のルールを逸脱する卑怯な戦争をした。GHQはそれを周知させようとしていた」と賀茂は言う。彼らが情報政策に力を入れていたのは、終戦直後の1945年10月から46年にかけてだった。
仮に「洗脳」が成功していれば、そして百田史観が正しければ、戦後教育を受けた世代以降で捕虜虐待が語り継がれているはずだが、戦中の日本国内に捕虜収容所が約130カ所も存在していたことすら今の日本で知られているとは言えない。「WGIP洗脳説」は百歩譲って「物語」としては面白いのかもしれないが、歴史的な事実と断じるにはあまりに根拠が薄過ぎることが分かるだろう。
南京事件(1937年)についても同様である。百田はインタビューに対し、「一部の兵士による殺人はあったかもしれないが、組織的な命令で行った虐殺行為はない」と答えた。
これも歴史学の中心的な考え方とは異なる。南京事件は右派と左派との間で論争が起きている、という理解は正しくない。『「日中歴史共同研究」報告書 第2巻』(勉誠出版、14年)というものがある。
06年、当時の安倍首相と中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席により、日中の歴史研究者による共同研究が立ち上がり、近現代史も研究対象となった。この結果をまとめたものだ。
左派的な学者ばかりを集めた研究、という指摘は全く当たらない。日本側の座長は安倍ブレーンの1人、北岡伸一である。この報告書には「南京攻略と南京虐殺事件」という項目が設けられ、中国側だけでなく、日本側の研究者も「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記述している。
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