77歳の名ピアニスト 〝力の抜けた美〟【コラム 音楽の森 柴田克彦】
OVO [オーヴォ] / 2024年2月25日 7時0分
ドイツ・ロマン派のけん引者たるシューマンは、1845年に生涯唯一のピアノ協奏曲を完成した。その作品は当時屈指の名ピアニストだった妻クララの演奏によって世に広まった。そしてそれをドイツ留学中に聴いたのが、のちにノルウェー国民楽派の代表格となる若きグリーグだった。彼はシューマンの影響を反映したピアノ協奏曲(同じく生涯唯一の)を1868年に作曲し、こちらも高い評価を獲得した。
いずれもイ短調を基調とし、同じ位の長さを持った両曲は、LP時代から現代に至るまでカップリングの定番となっている。今回紹介するのは、まさにその組み合わせによるディスク。ピアノ独奏はエリザーベト・レオンスカヤ、バックはミヒャエル・ザンデルリンク指揮/ルツェルン交響楽団である。
レオンスカヤは、1945年旧ソ連(現在のジョージア)に生まれ、ロシアで学んだピアニスト。主にウィーンを拠点に活動してきた大ベテランで、本ディスクは2023年3月、77歳時に録音されている。彼女が両曲を録音するのはこれが初めて。いわば満を持しての挑戦である。
ロマンチックでメロディアスなこの2曲は、通俗的な人気作ということもあって、ダイナミックで大仰な表現がなされがちだ。だがレオンスカヤは決してそうした俗に陥らない。彼女は、力技ではなく、細やかなニュアンスに富んだエレガントな表現で、両曲にまれな格調をもたらしている。
シューマン作品は、第1楽章冒頭のピアノの下行音型から耳を引きつけられ、それ以降も繊細で美しいピアノに酔わされる。表情豊かなカデンツァは特に素晴らしい。第2楽章は温かみを感じさせるピアノとオーケストラの絡みや対話が見事。第3楽章もデリケートなタッチとニュアンス豊かな表現が耳を奪う。同楽章のこれほど彫りの深い表現は滅多に味わえない。
グリーグ作品も、派手になりがちな冒頭から力みがなく、第1楽章は気品漂う演奏が続いていく。ここもやはりカデンツァの語り口に感嘆させられる。第2楽章は静謐(せいひつ)で美しく、第3楽章は北欧の香りや民族的なテイストをも絶やさない味わい深い表現。中でもフルートのソロに始まる中間部の美感が光っている。
過剰な抑揚を控えた目立ちすぎない響きでレオンスカヤを引き立てつつ、巧みに音楽のツボを押さえたバックも影の立役者といえるだろう。
これは、良きキャリアと年齢を重ねたプロフェッショルな演奏家だけが表出し得る“力の抜けた美”をたたえた音楽だ。(特に日本では)バリバリと腕の立つ若手ピアニストが妙な人気を集めている昨今、レオンスカヤと本盤は極めて貴重な存在といえるだろう。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.8からの転載】
(キャプション)
エリザーベト・レオンスカヤ(ピアノ) 他
シューマン&グリーグ:ピアノ協奏曲
ワーナー WPCS-13846 3300円
柴田 克彦(しばた・かつひこ)/音楽ライター、評論家。雑誌、コンサート・プログラム、CDブックレットなどへの寄稿のほか、講演や講座も受け持つ。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)、「1曲1分でわかる!吹奏楽編曲されているクラシック名曲集」(音楽之友社)。
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