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公立小中に4万人いる常勤講師の差別待遇

プレジデントオンライン / 2019年3月7日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/maroke)

全国の公立の小中学校には、「常勤講師」と呼ばれる非正規の教員が約4万人いる。仕事内容は正規の教員とほとんど同じ。だが正規教員の給与が年700万円程度なのに対し、非正規では最高でも年400万円未満と少ない。N県で19年間、常勤講師として勤務し、昨年4月に正規教員となった男性に、「差別待遇」の実態を聞いた――。

■「常勤講師の制度は差別でしかない」

「私は19年間講師として働いてきました。45歳になってようやく正式に教員に採用されましたが、いま改めて感じているのは、常勤講師の制度は差別でしかないということです」

こう話すのは、N県の公立小学校などで長年講師として働き、2018年4月に45歳でようやく教員に正式採用されたAさん。N県では教員採用試験の受験資格が40歳未満だったため、それまでに合格できなかったAさんは一度は採用の道が閉ざされた。それが16年になって、教員不足などを背景に受験資格が45歳未満に引き上げられたことから、何とかギリギリで合格を果たすことができた。

Aさんは採用の道がいったん閉ざされて以降、臨時教員の待遇改善を訴えてきた。教職員組合に「臨採部(臨時採用教職員部、の意味)」を立ち上げたほか、正式採用された現在も、研修会に招かれ、講師の勤務実態や改善策などについて講演している。

■教職から離れて3年後、「離島で勤務しないか」と誘い

Aさんは大学を卒業後、他県の公立中学校で2年間講師として働いた。1年目はいきなり3年生を担任。2年目は2年生を担任したが、自分の無力さを感じて、一度は教職から離れた。地元に戻り、祖父母を頼って一緒に暮らしていた。

すると教職から離れて3年がたった頃、地元の教育事務所から「離島の小学校で勤務しませんか」と連絡があった。産休・育休で教員に空きが出たということだった。

講師の誘いを受けたことで、この機会に再度教員の道を歩んで、正採用を目指すことを決心。祖父母に伝えようと思った矢先、祖父はその日に倒れ、そのまま他界してしまった。

「心配をかけた祖父に、安定した仕事に就くことを報告して、安心してもらおうと思ったのですが、知らせることができませんでした。間に合わずに、悔いが残っています」

祖父の葬式が終わって、Aさんは離島へと出発した。しかし、そこから長く続く講師としての生活は、安定とは程遠いものだった。

■仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする

Aさんは離島で2年間勤務した後、地元で引き続き講師をすることになった。島を出てまもなく結婚し、4人の子どもを育てていく。

講師は基本的に、ほぼ1年おきに職場が変わっていく。その過程で、さまざまなデメリットがあることにAさんは気づいた。

仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする。新採用の教員であれば研修が用意されているが、講師には何もない。県教委や現場からは即戦力を求められるが、誰のサポートもなく、いきなり授業を動かさなければならないのだ。

労働時間も正規教員と変わらない。早朝から夜7時くらいまでは学校にいることも多かった。研究校に指定されている場合は、会議などで夜8時、9時まで勤務することも当たり前だった。学期末などは仕事がさらに増えていく。

講師が荒れているクラスの担任をする、というケースもよくある。荒れているクラスを受け持つことを他の教員が拒否して、講師に任せるというのだ。「講師の仕事面での負担は、むしろ正規教員よりも大きい場合がある」というのがAさんの率直な思いだ。

■3月末から4月上旬までの空白期間は無職

こうした状況にもかかわらず、待遇面では正規教員と大きな差がある。任期は3月の修了式までで、3月の給料は日割りになる。そのため、3月だけは厚生年金から国民年金に切り替えなければならない。もし3月に亡くなった場合には遺族年金にも大きな差が出てしまう。

同じように健康保険も社会保険をいったん抜けて、国民健康保険に1カ月だけ加入しなければならない。しかし、3月中は保険証が届かず、その期間に病気になった場合は、窓口で10割全額を負担しなければならなかった。

さらに、Aさんが働き始めた当時は4月2日採用で、4月も日割りだった。日割りになった3月と4月は手当もつかず、給料も少ない。日割り計算によってボーナスも満額は出ない。退職金は1年ごとに支給され、その金額は年間12万~13万円ほど。日割りになっている月の生活費に消えてしまう、といった状態だった。

3月末から4月上旬までの空白期間は、無職である。この時期の平日、子どもの行事などに参加すると、保護者から「先生は春休みがあっていいですね」と言われるのが常だという。しかし、実際は無職の状態だったAさんは「みじめな思いで、一人で落ち込んでいた」と話す。

■教員を精神的に追い込む不安定な採用システム

待遇面に加えて、不安定な採用システムが、教員を精神的に追い込む。3月の修了式の時点で、次の勤務先はおろか、4月から臨時教員として引き続き働けるかどうかもわからないのだ。

各県で異なるかもしれないが、Aさんが経験した採用の流れは次のようになる。3月上旬、次の職場がある場合は1回目の通知がくる。人事異動発表後、2回目の通知で勤務予定の学校を知らされるが、自分から学校には連絡しないように、とくぎをさされる。

4月に入って学校長から連絡があり、4月2日(その後、1日付け採用となる)から働けると言われた場合は勤務が確定になる。ところが、そうはならないケースもある。

学校によっては、始業式まで人数が確定せず、予定より少なかった場合はクラスを減らす「危険学級」が設定される。勤務する可能性のある講師は始業式の日に呼ばれ、校長室で待機する。無事、人数がそろえば、その場で採用となるのだ。

■何年働きつづけても給料は月額約24万円のまま

ところが、当日校長室で待機していたのに、児童数がそろわずに不採用になったという人も出てくる。Aさん自身は経験していないが、不採用になった知人は教員の道を諦め、他の仕事に就いたという。

何年か講師をやっていればそのうち正採用になるだろう、とまわりからは言われるものの、いつまでたっても身分は不安定のまま。さらに、この理不尽さは年数がたつにつれてひどくなるということが、後からわかってきた。

講師にも昇給はあったが、それが8年で止まるとAさんが知ったのは、昇給が止まる直前だった。N県の場合、講師の給料の上限は月額約24万円。扶養手当もつかない。正式に採用されなければ、この先何年働きつづけても給料はこの金額のままだ。

昇給が止まったとき、Aさんは39歳目前だった。当時のN県では前述の通り、40歳未満、つまり39歳までしか採用試験を受けられない。当時、Aさんの子どもは、上の子が中学2年生で、一番下の子はまだ4歳。これから子どもたちにお金がかかることも目に見えている。何としても正規教員になりたかった。

しかし、採用試験は常に狭き門で、Aさんは最後のチャンスをものにできなかった。結果は不合格だった。

■「どんなにがんばっても、この給料でやっていくしかない」

「自分は家族を支えられないという現実を突きつけられ、人生で初めて、目の前が真っ暗になるってこういうことなんだ、と思いました。不合格がわかった日は、家族の前に顔を出すことができず、夜中に近くの川べりに座って酒を飲んでいましたね。どんなにがんばっても、ずっとこの給料でやっていくしかないんだと、絶望的な気持ちになりました」

どん底に突き落とされたAさんは、ボクシングと出会う。他県にいた頃に一時経験があるが、近所にボクシングジムがあることを知り、ボクシングを再び始める。何とか自分を保つために、Aさんが選んだ方法だった。

「やり場のない怒りとか、いろいろなものが襲ってきて、自分がぶっ壊れてしまいそうでした。ボクシングにぶつけることで、何とか平静を保つことができました」

Aさんはボクシングをすることで、仕事に再び打ち込むことができた。そして考え方も前向きになった。講師の待遇を改善するために行動しようと、教職員組合に臨採部を立ち上げて、交渉の先頭に立つことを決心した。

教員不足などを受けて、全国的に受験資格年齢の上限を引き上げる、もしくは撤廃する県が出てきたのはこの頃。するとN県も突然、上限の引き上げを発表した。45歳未満に引き上げられたのだ。

■給料に「ここまで差があったのか」と愕然とした

Aさんが45歳未満への引き上げを知ったのは5月。チャンスは、その年の7月と、翌年の試験の2回しか残されていなかった。

時間はなかったが、7月の試験では1次試験に合格。2次試験の結果は「B」で、「成績優秀だけど不合格」というものだった。Aさんは頭にきて通知書を捨ててしまった。ところが、「B」の不合格者は、この通知書を持っていれば翌年の試験で1次試験が免除されることになっていた。幸いにも、妻が捨てられていた通知書に気づき、保管していたため救われた。

Aさんは翌年、2次試験に全てをかけた。ピアノ教室にも通い、満点を取るという気迫で臨んだ。結果は合格。組合で臨採部などを立ち上げたことで、周囲からは合格は難しいのではないかと言われたが、そんなことはなかった。最後まであきらめなかったことで実を結んだ。

しかし、採用されてからAさんはまたも愕然とした。いままでと仕事内容は同じなのに、手当や福利厚生なども含め、給料にここまで差があったのかと、初めて知ったのだ。

■年収は正規の教員になったことで1.5倍以上に

講師の時の月給は約24万円で、年収は400万円弱だった。それが、採用された年は月給が約36万円で、扶養手当が約3万円。年収は、講師の時の1.5倍以上となった。

「こんなに差があることは、正規の教員になって初めて知りました。確かに私の仕事は、いまの給料なら納得できます。しかし、講師の場合は生涯賃金で比べるとかなり少なくなります。この不利益の理由を、国や教育委員会は説明できるのでしょうか。これは差別以外の何物でもありません」

待遇以外にも、臨時教員への差別を感じることがある。ある日、Aさんの目の前で、子どもが講師に向かって「本当の先生じゃないくせに」と言われていた。Aさんが「違うよ、先生だよ」と言うと「試験に受かってないやろ」と子どもは返す。「受かっていなくても免許は持っているから先生なんだよ」と説明しなければならなかった。

講師という肩書のために、子どもや保護者からも「本当の先生ではない」と言われてしまうのだ。

■教員の7%が「常勤講師」として働いている

文部科学省によると、全国の公立小中学校で働く常勤講師の人数は、17年5月現在で4万2792人。教員の定員に占める割合は7.1%となっている。これは産休や育休による代替講師を含まない数だ。

教員が不足する中で、講師は教育現場では必要な存在になっている。しかし、いまのような待遇の差を放置すべきではないとAさんは訴える。

「講師は、初任者のような研修も受けることがないまま、正規の教員と同じように質の高い指導を求められます。“即戦力”などと言う人もいますが、それは都合のいい言葉でごまかそうとしているだけでしょう」

Aさんは現在、講師の待遇改善について、教育委員会との交渉にあたっている。これまでに厚生年金や社会保険の継続について改善を取り付けた。

昇給の上限については、都道府県別では17年現在で北海道、千葉県、石川県、大阪府、岡山県、沖縄県で撤廃されている(文部科学省の調査による)。しかし、N県は8年で上限になる制度のままだ。Aさんは上限の撤廃を強く訴えている。

「講師は業務に見合うだけの賃金の保証がなく、不当な扱いを受けています。これは単なる差別です。講師に対する差別をなくすために、これからも訴え続けていきたいと思います」

■正規の教員は残業代ゼロだが、常勤講師はもっと厳しい

正規の教員も、労働条件はいいとは言えない。教員には給与月額の4%相当が支給される代わりに、時間外手当が支給されないことが給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)で定められている。

教員の働き方改革が検討されるなか、中央教育審議会は去年12月、教員の残業を原則月45時間以内、繁忙期でも月100時間未満とするガイドラインを了承した。しかし現状では多くの教員がこのガイドラインを超える残業をしている。ガイドラインには罰則がないので、実効性があるのかと疑問視されている。また中央教育審議会は、給特法の見直しには踏み込まなかった。

このように正規の教員も、厳しい労働条件下にある。しかし、講師は同じ仕事をしながら、もっと厳しい立場と待遇で働いている。講師の労働環境を改善することは、現場にも、教育を受ける子どもたちにとっても、プラスに働くのではないだろうか。「もっと多くの人に講師の実態を知ってほしい」とAさんは話している。

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田中圭太郎(たなか・けいたろう)
ジャーナリスト
1973年生まれ。早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。大分放送を経て2016年4月からフリーランス。警察不祥事、労働問題、教育、政治、経済、パラリンピックなど幅広いテーマで執筆。

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(ジャーナリスト 田中 圭太郎 写真=iStock.com)

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