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退院した患者に冷たい日本のリハビリ環境

プレジデントオンライン / 2019年6月18日 9時15分

脳卒中で倒れた人は、仕事には戻れるのだろうか。ライターの三澤慶子さんの夫は50歳で脳卒中になり、仕事に復帰するまで9カ月かかったという。三澤さんは「いまの仕組みでは脳卒中で倒れた人の『仕事復帰』の支援が手薄です。これではたとえ退院できても行き詰まってしまいます」と振り返る――。
ライターの三澤慶子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

■麻痺は残ったが「全部ひとりでできる」

2014年2月、ライターの三澤慶子さんの夫(当時50歳)が脳梗塞を発病した。後遺症によって夫の右半身には麻痺が残ったが、リハビリを続けながら仕事復帰。生業である映画評論家(※)として執筆活動を続けている。

※映画評論家の轟夕起夫さん

突然の病と闘病の記録を、三澤さんは『夫が脳で倒れたら』(太田出版)につづった。三澤さんは今、自身の経験から脳卒中患者が早期に仕事復帰する重要性を感じ、その道を模索しているという。

――脳梗塞を発病したことで旦那さんの体の右側に麻痺が残ったということですが、生活する上でサポートは必要ですか。

夫の場合は片方の筋力があって麻痺側を支えることができたので、早い時期から身の回りのことはだいたいひとりでできたんです。リハビリで服も着られるようになったし、頭も背中もなんとか洗えるようになりました。なので退院後に私がなにか介助する必要もなく、介護サービスに頼ったこともなくて。

■感情の起伏は本人ではなく「脳卒中」のせい

でも脳の病気の後遺症は人によって症状がバラバラで、「高次脳機能障害」といって、記憶障害や判断力が低下したりするような、内面的な障害だけが出る人もいます。この場合、見た目ではほとんどわかりませんが、その分、ケアの必要性を周囲にわかってもらうことも困難になります。

夫も発病後は感情の起伏が激しくなりました。本人も「なんで俺、こんなことで泣いてるんだろ?」と思うほど涙腺がゆるくなったり、急に笑いだしてしまったりすることもあります。

人によっては暴力的になることもあり、そうなると家で見る家族はとてもつらいものがあると思います。それもこれも本人のせいではなく、あくまで「脳卒中」(※)に原因があるわけですが、私自身、そうして切り分けて考えられるようになるまで時間がかかりました。

※脳卒中:脳梗塞、脳出血、くも膜下出血、一過性脳虚血発作の総称

■「仕事復帰」を支援するサービスが足りない

――そばで支える家族が追い詰められないためにも、患者の“早期仕事復帰”が重要だというお話がありました。そのための支援制度などはあるのでしょうか。

病院や介護サービスと患者をつないでくれるのがソーシャルワーカーなんですが、それは“家庭復帰支援”であって、“仕事復帰支援”ではないんですよね。

働き盛りの50歳で発症した夫の例をはじめ、本に書いてあるとおり、病院には30~40代の患者さんもいました。現役世代向けの支援の必要性も高まっているのではないでしょうか。たとえば脳卒中で後遺症を抱えたサラリーマンが会社に復帰したいとなった場合、その人の上司は、部下の後遺症がどのようなものかわからないと思うんです。

さっきの話のように見た目にまったくわからない後遺症を持つ人もいるわけで、そういった患者の状況や、仕事として今できること、どのような配慮が必要かを客観的に説明してくれるような、職場と患者をスムーズにつないでくれるサービスがあったら……と思いました。

■患者を受け入れる「社会」の恐怖心を減らしたい

「がん」だと社会復帰のことなどを相談できる専門家が各地にいるそうですね。脳卒中の場合、現状ではそれに一番近い存在が理学療法士さんとかになってしまうのかなと。

リハビリを組み立ててもらっているのでどんな作業がどれだけできるかを把握しているし、仕事に含まれていないとは思いますが、心のケア的なことも会話のなかでしてもらうこともあるので、患者の状態を誰よりわかってくれている存在なんです。

そう考えると理学療法士や作業療法士と会社、患者の間をつないでくれる存在が今、求められているのかもしれません。脳梗塞、くも膜下出血、脳出血……どれも「得体の知れないヤバい病気」という感じもあり、周りの人は腫れ物に触るような対応になりがちです。また「聞いちゃいけない」と遠慮する人もいるでしょう。

これは本を書いた動機のひとつでもあるんですが、「脳梗塞をやった夫の場合、右半身麻痺の後遺症があってもこれくらいのことができました」と提示することで、受け入れ側にある恐怖心を少しでも緩和できたら、という気持ちがあったんです。

周囲から病気や後遺症の理解が得られれば、発症前ほどガンガンはできなくても、その人がいなくなった分をバイトで補うよりかはよっぽど仕事はできるはずですから。

■復帰の仕方は一人ひとり違う

――仕事復帰のタイミングは退院後になるのでしょうか。

理想は退院直後ではなく、リハビリしながら徐々に仕事復帰、だと思います。

夫もそうですが、退院後もずっと後遺症は残るわけで、「病院でのリハビリ終了=仕事復帰」というわけにはいきません。かといって、心身がどういう状態にまで回復したら復帰できるのかの線引きも難しい。夫の場合は、倒れてから約9カ月後に、一人で仕事に行けるようになりました。

となると、結局はそれぞれの状況や症状に合わせた復帰の仕方を組み立てていくしかないのですが、夫は片麻痺でもなんとかできたし、まして同じ病室にいた夫より若い患者さんたちが十分できるのは見ていてわかりました。彼らなら退院直後でもたぶん、仕事はできたと思うんです。

夫、轟夕起夫さんの仕事は映画評論家。取材や試写で出掛ける際、片手でも開け締めできるリュックが見つからなかったことから、三澤さん自らがデザインと試作を重ね、オリジナルバッグ「TOKYO BACKTOTE」を完成させた。それに伴い、ブランド「WA3B(ワブ)」も立ち上げる。
「TOKYO BACKTOTE」ペットボトルや折り畳み傘は、背に手を回しただけで取り出せる仕様だ(画像=三澤慶子)

■リハビリの一環で職業訓練もできるといい

能力も働く意志もある人が仕事に復帰できなかった場合、退院後、その負担が家庭にもやってきてしまいます。ただでさえ後遺症でつらいのに、やりたい仕事もできない本人を見るのは、家族としても非常につらいことでしょう。

三澤慶子『夫が脳で倒れたら 』(太田出版)

そういった意味でも、病院でのリハビリ期間中から緩やかに仕事復帰していくのがベストではないかと思いますが、身の回りのことができるようになるまでを支援してくれる「回復期リハビリテーション」病院から仕事復帰までの支援が手薄なのが現状です。

「回復期リハビリテーション」で支援してもらえるのは、基本的には“家庭復帰”までです。それでも仕事復帰支援をどこでも受けられない現状では、現役世代にとっては結局、回復期リハビリテーションが仕事復帰の訓練施設にならざるを得ません。

たとえば、厚生労働省とタッグを組んでもらうようなかたちで、回復期リハビリテーションでの支援をもっと充実させて、職業訓練的なことまでできればいいのにと思います。

この問題については、いろんな人に考えてもらいたいので、夫も私もなるべく、体験したことをどんどん話していきたいんです。患者本人や家族が語らないと、どんな支援が必要かなんてわからないですもんね。一緒に住んでいる私だって、いまだに夫の後遺症についてわからないことだらけですから。

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三澤慶子(みさわ・けいこ)
ライター
北海道生まれ。SSコミュニケーションズ(現 KADOKAWA)にてエンタテインメント誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト』『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を発案、2018年にブランドWA3Bを立ち上げる。

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(ライター 三澤 慶子 聞き手・構成=小泉なつみ)

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