「パリ五輪でマラソン金メダルもいける」日本新・鈴木健吾の大化けの芽
プレジデントオンライン / 2021年3月7日 9時15分
■誰も予想しなかった「マラソン日本新」なぜ出たのか
「まさか(2時間)4分台が出るとは……」
2月28日に行われたびわ湖毎日マラソン。鈴木健吾(富士通)の爆走に度肝を抜かれたファンは少なくないだろう。大迫傑(Nike)が保持していた日本記録を33秒も塗り替える2時間4分56秒というタイムも衝撃だった。
日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーが、「まさか4分台が出るとは夢にも思っていませんでした」と口にするほどで、鈴木本人も「こんなタイムが出るとは思わなかったので、正直自分が一番ビックリしています」と本音を漏らしている。
筆者も本当に驚かされた。本人には失礼だが、まさかの快走だった。
鈴木の何がすごかったか。とにかく終盤の走りが強烈だった。35km通過時は2020年3月の東京マラソンで日本記録を樹立したときの大迫より25秒遅れており、首位を走ってはいるもののタイムは2時間5分台だろうか、という状況だった。それが40km通過時では大迫の記録を11秒上回り、日本記録が濃厚になる。競技場に帰ってきた鈴木は腕時計を確認。最後は2時間4分台を目指して、残りの力を振り絞った。
過去4回のマラソン経験があった25歳は、大会前の自己ベストが2時間10分21秒。今回一気に5分半近くも自己ベストを更新したことになる。
■好記録、最大の要因はレースコンディション
本レースでは、鈴木の2時間4分台を筆頭に土方英和(Honda)、細谷恭平(黒崎播磨)、井上大仁(三菱重工)、小椋裕介(ヤクルト)の4人が2時間6分台をマークした。日本人選手だけで40人がサブテン(2時間10分切り)を達成した。これは瀬古リーダーが「世界のマラソンを変えた」と言うほどの“記録ラッシュ”だった。
びわ湖の優勝記録は過去3年間が2時間7分台で、14~17年が2時間9分台。いずれも外国人選手が制している。大会記録は2時間6分13秒(ウィルソン・キプサング)で、日本人最高記録が2時間7分52秒(油谷繁)だったことを考えると、今大会の好記録は突発的だったと言ってもいいだろう。
なお日本人選手のサブテンは2016年が6人、2017年が9人、2018年が16人、2019年が8人、2020年が29人。同一レースでは昨年の東京で19人がサブテンを果たしているが、今回のびわ湖はそれ以上になった。従来の感覚よりも全体的に2分ほど速かった印象だ。
マラソンは気温、湿度、日差し、風、レースペースがタイムに大きく影響する。今回は気象条件が絶妙だった。スタート時の天候は曇り、気温7.0度、湿度57%。ゴール付近となった11時20分は気温10度、湿度50%と非常に走りやすかった。
今回のびわ湖はスタート時間と日程が変更しており、それが好条件につながった。例年は午後スタートだったが、午前のほうが午後よりも風が穏やかな傾向があるため、前回から朝9時15分スタートになった。日程も例年より2週間前倒しとなる2月末に開催されたことが気温に影響したはずだ。
例年は2月前半に別府大分マラソン、3月上旬に東京マラソンが開催されていたが、コロナ禍の今年は両大会が延期した。その結果、国内トップクラスが出場するレースがびわ湖に“一本化”したかたちになり、例年以上に有力選手が集まったことも大きい。
またコロナ禍で海外から招待選手を呼ぶことができなかったのもプラスに作用した。通常は目玉選手の要望を考慮してペースメーカーのタイムが決まるが、今回は日本人選手に合わせるかたちで日本新ペースになったからだ。そしてペースメーカーも予定通り「キロ2分58秒」で進み、選手たちを好アシストした。
■厚底シューズの威力も凄まじかった
近年は厚底シューズがスタンダードになり、世界のマラソンは高速化している。今回のびわ湖もナイキ勢が上位を独占した。鈴木が着用していたのは「エア ズーム アルファフライ ネクスト%」。1年前の東京マラソンで大迫が履いていたモデルと同じで、今冬の駅伝に向けて発売されたEKIDEN PACKの新色だった。
鈴木は大学4年時に初マラソンに挑戦している。設楽悠太(Honda)が16年ぶりの日本記録(当時)となる2時間6分11秒を叩き出した2018年の東京マラソンだ。日本人選手9人がサブテンを果たすなど、当時は歴史的レースと報じられた。なお当時、鈴木は東京でアシックスの薄底シューズを履いていたが、今回のびわ湖はナイキの厚底シューズで大幅ベストを更新したことになる。
今回は1~9位を含むサブテンの大半がナイキ厚底シューズを着用していた。そのなかで8年ぶりの自己ベストとなる2時間7分27秒で10位に入った川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)の足元にも熱視線が集まった。
川内は学生時代から薄底タイプを愛用してきたが、今回はアドバイザリー契約を結んでいるアシックスの厚底シューズ(一般発売前のモデル)で出走。2013年のソウル国際でマークした2時間8分14秒の自己記録を大きく更新した。快走の要因については、「こんなことを言うのはあれなんですが、厚底に変えたのが大きいのかなと思う」とレース後に話している。
今回の結果を見ると、絶好のコンディションとシューズの進化が噛み合ったときの“記録向上”はまだまだ予想できない範疇にあるといえるだろう。
なおナイキは日本記録を2度塗り替えた「エア ズーム アルファフライ ネクスト%」の新色(ハイパーターコイズ)を今月から発売。またアッパー部分を改良して、前足部を補強した「ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト% 2」を4月15日に発売予定している。
■一躍「パリ五輪金メダル」候補、鈴木健吾の成長過程と強さの秘密
鈴木の2時間4分56秒は世界歴代57位タイ。男子100m9秒台を出したのは145人なので、その価値の高さがわかるだろう。100mで9秒台をマークしている桐生祥秀やサニブラウン・アブデル・ハキームは高校時代から突出した存在だったが、日本マラソン界の星は少し異なる。
鈴木は全国高校駅伝に出場した経験を持つ父・和幸さんの勧めで競技を開始。中学時代は全国レベルの選手ではなく、愛媛・宇和島東高時代の1~2年時もさほど目立つ存在ではなかった。それでも着々と成長した鈴木は3年時のインターハイでちょっとしたフィーバーを巻き起こす。5000mで予選を突破して、「あれは誰だ?」と大学関係者の間で話題になったのだ。
インターハイ後に、多くの大学から勧誘を受けた鈴木は、高2の時から声をかけられていた神奈川大に進学した。「小柄でしたけど、バランスが良くて、リズムも良かった。長い距離に対応できるタイプだなと思いました」と神奈川大・大後栄治監督は鈴木の印象を話している。
大学1年時の箱根駅伝は山下りの6区で区間19位に沈んだ鈴木だが、2年時からチームの「エース」と呼ばれる存在に成長。3年時の箱根駅伝2区で区間賞を獲得して脚光を集めた。筆者は大学3・4年時の鈴木に複数回取材をしているが、当時から競技への意識がすこぶる高かった。大後監督が「練習はいくらでもやります」と評する通りで、「各自ジョグ」という軽めの練習の日でも90分で20km前後を走っていた。3年時の夏には月間で1000~1200kmというマラソン練習並の距離を走り込んでいる。
当時から2020年の東京五輪を強く意識しており、大学4年時には2月の東京マラソンに出場。学生歴代7位(当時)の2時間10分21秒をマークした。しかし、富士通入社後は故障に悩まされる。2019年9月のMGCは7位に終わると、2020年のびわ湖も12位(2時間10分37秒)と振るわなかった。
マラソンでの東京五輪を逃した鈴木は、自分の身体を見つめ直して、ウエイトトレーニングを開始。フィジカルを鍛えるとともに、スピードを磨いてきた。その結果、2020年は10000mで27分台を2度マーク。大学時代は28分30秒16だった自己ベストを27分49秒16まで短縮している。本格的なマラソン練習は年明けからだったが、東京五輪男子マラソン代表に内定している中村匠吾(富士通)と質の高いトレーニングを実施。これらの成果を今回のびわ湖の快走劇に昇華させた。
■「後半」と「暑さ」に強く、アフリカ勢に対抗できる
なかでも特筆すべきは残り5kmの走りだ。36kmまでの1kmは3分04秒かかったが、37kmまでの1kmを2分53秒に引き上げると、その後もキロ2分50秒台で押していく。そしてゴールまでのラスト5kmを14分20秒台で走破したのだ。
「10kmくらいまでは集団の流れにうまく乗れない感覚があったんですけど、20km以降は自分のリズムになってきました。いつもはきつくなる30km以降も今回はかなり余裕があったので、行けるんじゃないのかな、という感覚があったんです。今季は10000m27分台を2回マークして、自分でもスピードがついた感触がありました。それをマラソンに生かしたいと思って取り組んできて、しっかりとかたちになったと思っています。あと1年間大きな故障なくやれたことが一番大きかったですね」(鈴木)
大学時代と比べて明らかにスピードがついただけでなく、上半身の筋力は格段にたくましくなった。レース終盤もフォームがブレることなく、軽やかで滑らかなフォームで押し切った。ダイナミックな走りでスピードのある大迫傑とは異なる魅力を秘めた男子マラソン界のニューヒーローが誕生した。そして、さらに驚かされたのは、ゴール後も鈴木はまだまだ余力があったことだ。
富士通・福嶋正監督によると鈴木は「暑さ」にも強いという。2時間4分台のスピードを持ち、終盤のスパート力もある。今後も順調に成長できれば、3年後のパリ五輪ではアフリカ勢に対抗できる“金メダル”候補になっている可能性も十分ある。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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