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「50代以上の転職は99%が失敗する」大企業から中小に移ってきた自称エリート社員の残念な特徴

プレジデントオンライン / 2021年9月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

転職で失敗する人にはどんな特徴があるか。3000人以上の転職・再就職をサポートしてきたCEAFOM代表の郡山史郎さんは「大企業でマネジメント職を務めてきた人ほど転職に失敗しやすい。大企業での実績やノウハウは、転職先では役に立たない」という――。(第1回)

※本稿は、郡山史郎『定年格差 70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか』(青春新書インテリジェンス)の一部を再編集したものです。

■「中小企業に転職すればノウハウを活かせる」という勘違い

「それなりの大企業で役職も得た。中小企業に転職すれば、そのマネジメントのノウハウが活かせるのではないか?」

大企業の転職希望者がよく抱く夢がこれだ。

かつての高度成長期の頃ならば、まだまだ経営が未成熟な企業がそこかしこにあった。

だから、大きな組織やプロジェクトをまわすノウハウは、大企業でしか持ち得ない面が多かった。天下りのように中小企業で経営手腕をふるう。そんなセカンドキャリアのよきストーリーが聞こえる時代があったことは確かだ。

しかし時代は変わった。

大企業でしか経営やマネジメントのノウハウが積み上げられないことはもうない。むしろ形骸化した大企業よりも、1人で多くの業務に携わらざるを得ない中小企業のほうがよほど多能でハードなビジネスのノウハウが積める。

泥臭い営業も、エクセルやワードを使った資料づくりも、アポイントも、経費処理も、経営戦略も、部下の指導も、場合によってはパソコンのセッティングなどまで、1人でやるのが中小企業だ。

そう考えると、とくに大企業でマネジメント職を積んできた、役職が上の50代以上の人間ほど、厳しい現実が待っていると言える。

泥臭い営業は若手かあるいは外部に任せ、資料づくりやアポイントは長らく自分で手掛けたことはない。パソコンも満足に使えない。そのくせ、その場所でしか通用しないマネジメントを見当違いな場所で披露されるのは、中小企業にとってたまったものではないからだ。

■現場を離れた大企業出身者の残念な特徴

私の人材紹介会社には、今はメールでアクセスする人が増えたが、かつて電話で依頼が入ることが多かった。そこにかけてくる電話で、「ああ、これは大企業のそれなりの役職がある人だな」とピンとくることが多々あった。

かかってきた電話にこちらが出ると、「もしもし。○○をしていただきたいのだが」「○○さんいますか?」と話しはじめる。自分が何者かを名乗らないのである。

電話をかける男性
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

明らかに長い間自分で電話をかけたことがなかったのだろうとわかる。電話は秘書や部下が取り次ぐか、相手からかかってくるものだったに違いない。

そのマナーが問題なのではなく、そのようなビジネスの最前線から離れた場所でしか仕事をしてこなかった事実こそが問題だ。もう戦力から離れた人なのだなと感じさせてしまう。

ボーイング747のようなジャンボジェット機は、すばらしいテクノロジーが集結した飛行機だ。数百名を遠く地球の反対側まで輸送するという大きなミッションを果たすことができるが、ほとんど自動運転で操縦できる。

一方で、大きな飛行機を運転できるからといって、小さなヘリの運転が楽勝なわけではない。大きなミッションをこなせるからといって高い技術を持っているとは限らないのと同じように、大きな会社をまわしてきた人間が、小さな会社を簡単に回せるはずなどないのだ。

■大企業時代の“実績”は誰のものなのか

守秘義務があるため、いくつかの加工を加えてエピソードで伝えよう。

Aさんはある大手企業の経営企画を手掛けてきた人だった。50代も後半になり、役職だけが剥奪されて給料の安い平社員として働く「役職定年」になったこともあり、私のもとに相談に訪れた。

長年、事業のM&Aを指揮してきた。AさんのM&A戦略によって、その会社は市場の変化に柔軟に対応して事業を伸ばし、生き残ってこれた。自他ともに認めるAさんのすばらしい功績だ。

「自分の腕を買ってくれる、M&Aを手掛ける企業に転職したい」

Aさんは年齢を感じさせぬ輝くような瞳でそう訴えた。しかし1年後、同じ瞳を見ることはなかった。スカウトメールはほとんどなく、うまく求人までこぎつけても先へ進めなかった。

実績は確かにある。ノウハウも積んでいたようだ。ただし、それらはすべて「優秀な部下がいてこそ輝いたノウハウであり実績」だったからだ。今1人で、ゼロからM&Aを企画して、そのプロジェクトを仕切れるのか。膨大で複雑なデータを集めて、自分の手で解析してM&Aの判断ができるのか。答えは明らかにノーだった。

大企業で出世の階段を上り詰めた人こそ自覚したほうがいい。時代は今この瞬間も刻一刻と変わり続けている。過去の栄光は、その当時を切り取った栄光でしかない。時代は変わるのだ。

■50代以上の転職は99%が上手くいかないが…

かように50代以上の転職は極めて厳しい。企業はこの年代の求人をほとんど出さない。

また、仮に収入面はクリアできても、その転職が自分の幸せに結びついている人は、どれだけいるだろうか。99%はうまくいかない。しかし、99%がうまくいかないということは、その反対側に1%のうまくいった人もいるということになる。

私は本来、こうした事例を取り上げて、「これをすればよいのだ」というレトリックを使うのは好まない。なぜなら、中高年世代はキャリアもキャラクターも千差万別で、1つの定型には当てはまらないからだ。

それでもうまくいった事例を並べてみると、数少ない50代以上の転職の成功者には、いくつかの共通点が見えてくるのは確かだ。具体的な何かを抽象度を上げて解析すると、真理が見えることがある。

そこで、これから数名の「1%の成功転職者」を挙げたい。そのまま真似をせよということではない。50代以上の稀有な転職成功への道筋が、あるいは仕事人生の幸せな後半戦の大いなるヒントが浮かび上がってくるはずだ。

■「役職がなくても、給料が減っても、働ける場所が欲しい」

Bさんはシンプルなパンツスーツを着こなしたスマートな女性だ。

私の会社を訪ねてくれたのは55歳のとき。新卒で入った某大手メーカーの研究員でマネジメント職まで駆け上がった人材だった。Bさんの年齢でそこまで上にいくのは相当な努力をされたのだろう。

しかも専門的な知識はもちろん、大きな研究所でいかにして人心をつかむかにまで精通しているようだった。

またBtoC(ビジネス・トゥ・カスタマー)向けの製品を手掛ける会社だったため、マーケットのニーズにも敏感で、少し前職の話を聞いただけでも、引き込まれるような視座の高さも持っていた。

これだけの人材なので、今いる会社からも「まだまだ会社に残ってくれ」と言われていたが、本人は「外の世界を見たい」と考えていた。

これまでやってきたような大規模な研究設備を使って研究開発するような仕事は、もう年齢的に難しいのはわかっていた。ただこれまでの経験と知識も含めて、別の場所で活かせるならば活かしたい。

役職なんていらない。給料は減ってもかまわない。しかし、あと10年、20年は働ける場所がほしい。自分をまだ世の中に役立てたい、というのだ。

私はBさんの魅力を強く認識しながら、しかし、50代以上の求人がほとんどないなかで頭を抱えた。エンジニアや研究職を求める企業は多いが、やはり50代という“数字”だけで箸にも棒にもひっかからない事実はあるのだ。

ここまでの高いスペックでも、50代以上の転職は大変だということだ。

■給料は3分の1でもノウハウが活かせる職場

そんなとき、既知の某国立大学で大学発のベンチャー支援をしている人間に「こんなすばらしい方がいる」と声をかけてみた。「ぜひ会ってみたい」というので、Bさんにも伝えると「喜んでまいります」と翌週には面談に向かった。

郡山史郎『定年格差 70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか』(青春新書インテリジェンス)
郡山史郎『定年格差 70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか』(青春新書インテリジェンス)

そしてその週末、Bさんから弾むような声で電話が入った。

「お世話になることに決めました」

給料は前よりも3分の1ほどに下がるはずだ。仕事は未知の世界。ただそのベンチャー支援事業の仕事は、優れた製品・技術の要件は何たるか、企業の投資を得られる勘どころはどこか、マーケットの潮流はどこに向いているかなど、おおよそBさんが培ってきたノウハウと重なるところが多かったというのだ。

Bさんは続けて言った。

「何かやりたいとは思っていたけれど、ベンチャーの応援なんて考えてもいませんでした。どこに居場所があるのか、わからないものですね」

今はそのベンチャー支援の会社に副業という形で従事している。前職の会社からやはり強く慰留されたため、週に数日は研究所に勤務しているからだ。ダブルワークとなったため、1社からの収入は低くとも、合算すれば十分になる。

ずっと1社で働いてきたBさんにとって、二足のわらじ体験そのものが新鮮でもあり、また前からいた研究所のよさも改めて感じ入るいい機会にもなったという。

「研究所からソフトランディングしたら、また別の仕事場があるのではないか。まったく別の業種を覗いてみたいです」と、Bさんはいきいきと語っていた。

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郡山 史郎(こおりやま・しろう)
CEAFOM社長
1935年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、1959年ソニー入社。1973年米国のシンガー社に転職後、1981年ソニーに再入社、1985年取締役、1990年常務取締役、1995年ソニーPCL社長、2000年同社会長、2002年ソニー顧問を歴任。2004年、プロ経営幹部の派遣・紹介をおこなう株式会社CEAFOMを設立し、代表取締役に就任。人材紹介のプロとして、これまでに3000人以上の転職・再就職をサポート。著書に『定年前後の「やってはいけない」』『定年前後「これだけ」やればいい』(ともに青春新書)などがある。

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(CEAFOM社長 郡山 史郎)

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