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「ミスターX」粛清後も続いた日朝のパイプ、拉致被害者・横田めぐみさん両親とめぐみさんの娘・ウンギョンさん対面の舞台裏…「モンゴルかスイスか中国か、面会は“第三国”で…」

集英社オンライン / 2024年3月2日 18時1分

2014年3月、13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親と、めぐみさんの娘・ウンギョンさん一家が初めて対面した。面会実現へ向けた水面下の交渉と、面会場所となる“第三国”決定の舞台裏を『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層』(朝日新聞出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

横田さん夫妻と孫娘の対面案「第三国で」

横田滋さんと早紀江さん夫妻が第三国で孫のウンギョンさんと面会する。その案が実現に向けて動き出した。主導したのは外務省だった。

横田滋さん、早紀江さん夫妻はウンギョンさんとの対面を希望しているのかどうか。外務省がその真意を確認したのは2013年夏だった。ウンギョンさんに「お母さんは亡くなった」と言わせる北朝鮮の宣伝工作にのってはいけない。こうした支援団体などからの忠告を受け入れ、早紀江さんはこれまで面会に慎重な姿勢であったが、外務省幹部からの提案に前向きな意思を伝えた。



外務省は横田夫妻の意向確認を終えると、斎木昭隆事務次官が安倍氏に対し、第三国での面会に向けて北朝鮮側と水面下の交渉を始めたいと提案した。「もしうまくいけば、拉致問題の解決に向けた本格交渉の再開にもつながる」と進言した。安倍首相は「うん、わかった。それで進めてくれ」とゴーサインを出した。

横田夫妻 写真/Getty Images

斎木氏は2023年9月のインタビューで、安倍氏との当時のやりとりなどを明かしているので、その一部を紹介したい。

《当時、ウンギョンさんに娘が生まれたという情報が入ってきた。第三国での面会を当時の安倍晋三首相に相談したところ、『これは実現させましょう』と強い意向を示された。北朝鮮側は 『モンゴルならいい』と言ってきた。総理に報告すると、『(モンゴルの)エルベグドルジ大統領に頼んでみる』と言われた。大統領は二つ返事で『日朝関係の役に立ちたいと思っていた。(モンゴルの)迎賓館があるから、好きなだけ使ってほしい』と快く引き受けてくれた》

外務省が通常、国交のない北朝鮮側とやりとりする際は、中国・北京の大使館ルートを通じて行う。北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射に対する抗議は、この連絡方法を使っている。両国の外務省間による公式ルートだ。だが、北朝鮮外務省は独裁国家の政府組織のなかで、その地位はけっして高くない。日本政府は、トップの金正恩氏に日本側の意向が正確に伝わる保証はないとみている。このため、水面下で交渉を進める際には極秘ルートを使う。この時は、北朝鮮の秘密警察・国家安全保衛部とのパイプがあった。

日朝間の秘密交渉を担ったキーマン

複数の日本政府関係者によると、外務省が保衛部との関係を築いたのは2000年ごろ、槙田邦彦氏がアジア局の局長を務めていた時代だったとされる。保衛部の窓口は課長の肩書を持つ「キムジョンチョル」と名乗る男性で、2000年8月に日本で行われた日朝国交正常化交渉の際に交渉団の一員として来日した経験があるとの情報もある。その上司は「柳敬(リュギョン)」と名乗り、肩書は保衛部の副部長だった。

その人脈を引き継いだのが2001年にアジア大洋州局長に就任した田中均氏で、2002年の日朝首脳会談の実現に向けて事前に行われた秘密交渉を担った。日朝首脳会談後も日本政府は田中氏のカウンターパートである柳氏の名前を伏せ続けたことから、メディアなどの間では「ミスターX」と呼ばれた。

安倍政権などで日朝交渉を担った斎木昭隆・元外務省事務次官=2023年9月15日、東京 (©︎朝日新聞社)

外務省は2002年以降も担当者を替えながらこのパイプをつなげてきた。柳氏が粛清された後の一定期間は関係が途絶えたが、その後に復活。「キムジョンチョル」と名乗る男性と定期的に中国や東南アジアで面会し、コンタクトを取ってきた。2014年当時はその任を小野啓一・北東アジア課長が担っていた。小野氏はキム氏と接触し、横田さん夫妻とウンギョンさんの第三国での面会に向けた交渉を持ちかけた。

50代になったキム氏の肩書は以前と変わらず、小野氏と同じ「課長」だった。交渉には北朝鮮側からキム氏の上司である「参事」の肩書を持つ人物が加わり、日本側も伊原純一・アジア大洋州局長が同席した。北朝鮮の在外公館がある中国やベトナムなどで、通訳を交えて2対2の秘密協議が重ねられた。

「参事」は、トップと直接コンタクトを取ることが可能な「二代目ミスターX」なのか。

田中氏の交渉相手だった柳氏は副部長の肩書で、協議の場で日本側の要求に即答することもあり、ある程度の裁量権を与えられているようであった。一方、この「参事」は日本側の提案にその場で意思を示すことは少なく、「本国に持ち帰る」として回答を保留し、次の協議で北朝鮮側の考えを伝えてくることが多かったという。

「柳氏ほどの権限はないのではないか」。秘密交渉を知り得る立場にあった首相官邸と外務省のごく一部の関係者の間にはそのような評価もあったが、再び国家安全保衛部の幹部が折衝の場に出てきたことから、正恩氏が本気で対日交渉に臨もうとしているのではないかとの期待感があった。

大統領も後押し…モンゴルでの面会に合意

北朝鮮側は当初、「横田滋さん、早紀江さん夫妻が訪朝してウンギョンさんと面会してはどうか」と持ちかけてきた。だが、日本側が「それはできない。第三国でなければ無理だ」と反論すると、第三国での面会にあっさりと同意した。

そこで、日本側は面会場所に永世中立国のスイスを提案した。スイスは北朝鮮との国交があり、北朝鮮の大使館や国連代表部も置かれている。北朝鮮にとっても受け入れやすい提案と考えた。だが、北朝鮮側は「スイスは面会場所としては遠すぎる」と難色を示し、「中国はどうか」と提案してきた。

中国はかつて、帰国した拉致被害者と北朝鮮に残る家族との面会場所として候補に挙がったことがあった。

日朝は2004年に、2年前に帰国した拉致被害者5人の家族8人の帰国について合意した。だが、曽我ひとみさんの夫で元米兵のジェンキンスさんは当時、米政府から脱走罪で訴追される恐れがあり、日本への渡航を拒んでいた。日朝間で第三国での面会が検討され、候補地として中国国内が検討された。ただ、日本政府は「北朝鮮の影響が強すぎる」などと懸念し、北朝鮮側と代替案を模索した。

①米国と犯罪人引き渡し条約を結んでいない、②北朝鮮と外交関係がある、③家族が長期滞在できる――ことが条件だった。それを満たす国としてインドネシアが選ばれた。曽我さんは北朝鮮に残っていたジェンキンスさん、2人の娘とインドネシアで再会を果たし、その後、ジェンキンスさんも日本での定住を決めた。

横田滋さん、早紀江さんの写真を手に笑顔を見せるキム・ウンギョン(ヘギョン)さん=2002年、平壌市内(©︎朝日新聞社)

このような過去の経緯からもわかるように、横田さん夫妻とウンギョンさんの面会場所に中国を推す北朝鮮の提案を受け入れた場合、日本国内の反発が予想された。このため、日本政府は、北朝鮮と国交があり、民主党政権時代に日朝協議も行われたモンゴルでの面会が適当と考えた。

前述したとおり、2013年9月にモンゴルのエルベグドルジ大統領が来日すると、安倍氏は東京都内の私邸に招き入れ、その場で協力を要請した。「喜んで協力する」とエルベグドルジ氏は快諾した。翌月に訪朝した際には、北朝鮮側に日本の意向を受け入れるように後押しまでしてくれた。

この後、翌年にかけて日朝の交渉担当者が中国やベトナムなどで秘密協議を断続的に重ねた結果、最終的には北朝鮮がモンゴルでの面会に同意した。

文/鈴木拓也
構成/集英社オンライン編集部ニュース班
写真/朝日新聞社

『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層』

鈴木拓也

2024年2月20日発売

1,870円(税込)

240ページ

ISBN:

978-4022519665

北朝鮮との水面下の接触は続いていた!
日本人被害者5人の帰国から21年。交渉は停滞したままと思われていた2023年、政府高官が東南アジアのある都市に極秘渡航し、朝鮮労働党関係者と接触していた。
数年前に外務省と北朝鮮の秘密警察「国家安全保衛部」とのパイプが途絶えた後、内閣官房の関係者が第三国で北朝鮮側と断続的に接触し、政府間協議の本格的な再開への意思を探り合ってきたのだ。岸田首相の「ハイレベル協議」発言と北朝鮮の外務次官談話は、5月の日朝接触とタイミングが重なる。
「拉致問題は解決済み」との態度を変えない一方、米韓と対立する北朝鮮は日本との対話を探っている。2024年1月1日に起きた能登半島地震被害を受け、北朝鮮の金正恩書記長が岸田首相に見舞いの電報を送った。これは一体何を意味するのか?
蓮池薫氏、田中均氏らキーパーソンたちが語る交渉の舞台裏と拉致問題の行方を追ったノンフィクション。
解説=斎木昭隆・元外務省事務次官(2002年と2004年、政府調査団として訪朝)

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