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「中国思想」は日本にどこまで受容されているのか 「礼」の本質は「かのように」振る舞うということ

東洋経済オンライン / 2023年12月8日 10時0分

中国思想は日本にどこまで受容されているのか。気鋭の論客たちが徹底討議します(写真:ふじよ/PIXTA)

なぜ「無敵の人」が増え続けるのか。なぜ保守と革新は争うのか。このたび上梓された大場一央氏の『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。
中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は大場一央氏も参加し、同書をめぐって徹底討議。今回はその後編をお届けする。(前編はこちら)

改革がうまくいくための条件

中野:中国史を見ると、成功する改革や変法もありますが、大半が失敗に終わっています。この点について、施さんはいかがお考えですか。

施:おっしゃるように、改革や変法って、だいたい失敗するんですよね。まるで、生物の変異みたいな感じで、いろんな試みをして、たまたま適応したものが生き残る。どういうものが生き残るかの予想は非常に難しい。

ただ、よき変異を生み出しやすい条件については、いくらか語ることはできると思います。

たとえば、『武器としての「中国思想」』でも強調されているように、多数の中産階級や中間層の人々を元気にしておくこと。そうであれば、いろいろな試行錯誤が行われ、百家争鳴となり、さまざまなアイデアが多数出てくる可能性は高いですよね。いろんな試みが行われれば、いいものが含まれている可能性も高い。

つまり、特定の改革や変法の案がうまくいくかどうかの予想は困難だけれども、多様な角度から多数の案が活発に出てくる条件をつくることは、できると思います。

大場さんは「中間層を元気にする」必要性について、どのような理屈で正当化されるとお考えでしょうか。

大場:はい。一番端的な例は、北宋の士大夫の社会です。そこでは、士大夫たちが科挙に合格して、みんな横並びで同じ教育レベルで自由に議論をするんです。みんなで「俺の考える最強」の注釈をつけて、自由闊達に儒教を議論する。そこから出てくる政策が北宋の中で積み重ねられていって、「太常因革礼」みたいなモデルが成立していく。士大夫に言論の場を与えたことで、さまざまな可能性が出てきたんです。

それに対して「もっと統制すべきだ」と言っている新法党も、一君万民で均質化された言論空間の中で育まれていた。彼らもたとえば「通貨は瓦に墨で『これは金だ』って書けばいい」という自由な議論をポンポン入れている。これも自由で均質な環境で、経済的にも教養的にも信頼関係がある集団の中での議論ですね。

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