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台湾・民進党勝利の陰で逝去した民主革命家の人生 台湾民主化に命を懸けて闘った施明徳さんの人生

東洋経済オンライン / 2024年1月22日 8時0分

台湾の民主化のために戦ってきた民主化運動の闘士・施明徳さんが亡くなった。写真は2006年9月、当時の陳水扁総統の政権腐敗を批判、退陣を求めるデモを主導した施明徳さん(写真・AFP=時事)

台湾の総統選挙が2024年1月13日に投開票が行われ、民主進歩党(民進党)の頼清徳・副総統が40%の票を獲得し、中国国民党の侯友宜・新北市長、台湾民衆党の柯文哲・前台北市長を破って当選した。

その余韻も冷めやらぬ2日後の1月15日、1人の台湾の革命家が亡くなった。施明徳さん(享年83)。1993年から1996年まで、野党時代の民進党主席を務めた人物だ。台湾の民主化運動を推進したリーダーの1人でもある。

彼の死には、総統選挙に出馬したすべての候補者をはじめ台湾の与野党の代表的な政治家が立場を超え、こぞって弔意を表明した。施明徳さんがいかに台湾社会から敬意を集めていたかを物語っている。

獄中に25年「台湾のマンデラ」

「台湾のマンデラ」。施明徳さんはこう呼ばれることがある。3回、延べ25年5カ月の投獄期間は、反アパルトヘイトで投獄された南アフリカの故マンデラ大統領の27年間に匹敵するためだ。

戦後の国民党政権と蒋介石一族による専制政治を倒すため、台湾独立運動に身を投じたため、彼は政治犯として投獄された。詳細は後述するが1979年の反政府運動「美麗島事件」で反乱罪に問われて無期懲役の判決を受けて服役していた施明徳さんは1990年5月20日、李登輝総統が第8代総統に就任したこの日に特赦を受けて釈放される。

釈放後は、国民党に対抗する勢力として戒厳令時代の1986年に成立していた民進党に合流し、まもなく主席(党首)に就任する。こうして、施明徳さんは反国民党・民主化運動の盟主となった。

筆者は施明徳さんを「革命家のロマンを持つ実務家」だと考えている。そう思うのには、個人的な思い出もある。

1995年、私は当時、民進党主席だった施明徳さんをインタビューした。今と違って当時は日本の政界やマスコミ、研究者の間で、民進党に対する関心はほとんどなかったと思う。

施明徳さんを紹介してくれたのは、私がお世話になっていた知り合いの元政治犯だった。この人も有名な台湾独立運動の1つ、廖文毅事件で投獄された陳さんという人だ。

施明徳さんの話の内容も興味深いものだったが、強く印象に残ったことがある。党主席として分刻みの忙しいスケジュールの中で、約束の開始予定時間から遅れてインタビューが始まった。忙しい人だから、筆者もできるだけ質問を簡単にして聞いていった。

革命家の厳しいまなざし

しばらくすると、「記者会見をやっているから来てほしい」と部下が主席室に入ってきた。ところが施明徳さんは「取材を受けているから邪魔をしないように」と言いつけた。記者会見がとっくに始まっていて、誰もが主席の登場を持っていたのだ。

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