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2浪早大「街歩くな」親がひた隠しにした彼の失敗 浪人してよかった一方、唯一後悔したことも

東洋経済オンライン / 2024年4月14日 7時0分

2浪で早稲田に合格した原さん。浪人時は親も周りに言い出せなかったと言います。写真はイメージ(写真:kapinon / PIXTA)

現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」という人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。

今回は福岡県の公立進学校から2浪して、早稲田大学商学部に合格。卒業後に入社した東急エージェンシー在社時に、TCC新人賞を受賞。その後パイロンを経て、2008年にクリエイティブユニット『シカク』を結成。現在まで全国国民年金基金「夢を、上乗せしよう。」スゴイダイズ「豆乳じゃない。」など数々の仕事に携わったコピーライター・クリエイティブディレクターの原晋さんにお話を伺いました。

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浪人してよかったこと・悪かったこと

今回取材した原晋さんは、現在、コピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍をしています。

【写真】現在の原晋さん。コピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍する。

そんな原さんも2浪を経験しています。

現在、浪人時代に培った能力が仕事で生きているようで、「20歳まで受験勉強をしてよかった」と話してくださいました。その一方で「残念なこともある」とも語ります。

原さんが浪人を経験してから25年以上が経過した現在、浪人のメリット・デメリットについてどう考えているのかを深掘っていきます。

原さんは母方の実家がある山口県萩市に生まれ、福岡の北九州市で育ちました。名前の晋(すすむ)は、萩市出身の尊王攘夷志士、高杉晋作から一字をもらったそうです。

「両親はともに京都の大学を卒業していて、夫婦で北九州市の和食器を扱うセレクトショップをしていました」

原さんの自宅があった地区は新興住宅地だったため、治安の問題はなかったものの、進学予定だった中学校は隣の地区にあり、当時はとても荒れていたそうです。

両親はそれを回避するために、原さんに国立の福岡教育大学附属小倉小学校の受験を勧めました。

「経済的にも私立に通わせる余裕がない状況だったので、国立のみの受験でした。当時の附属小倉小学校の入試は、1次試験が筆記試験、2次試験は抽選だったのですが、運よく合格できたのでよかったです。

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