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「こいつらはプロだから」たけし軍団の松尾伴内が語る“グレーゾーン”の舞台裏と師匠のひと言

週刊女性PRIME / 2024年3月4日 8時0分

1982年にビートたけしに弟子入りを志願し、三番弟子になった松尾伴内。たけし軍団のひとりとして、さまざまなバラエティーでリアクション芸を披露。 撮影/近藤陽介

 昭和の時代はお笑いも過激で、芸人は自らの身体を張るのが当たり前。いわゆるリアクション芸が人気で、その先陣を切っていたのがビートたけし率いる、たけし軍団だ。

NGになった「人間大砲」

「一番激しい時代でした。今ではできないこともたくさんしたし、怖い目にもずいぶん遭いましたね」

 と話すのは、お笑いタレントの松尾伴内。試練の数々の中でも、過酷を極めたロケはというと─。

「バスごと海に落とされるゲーム。あれはキツかった!」

 今なお語り継がれる、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)の“伝説の罰ゲーム”である。

「クイズが出て、マルかバツかで2台のバスにわっと走っていくんです。軍団とダチョウ倶楽部は危なそうなほうに行くというのがお決まりで、僕らの乗ったバスがやはり不正解となる。そのままバスごとクレーンでつられて、海にドボンと落とされて。海水がぶわーっと入ってくるから、もう必死。みんな“うわー!!”って大騒ぎですよ(笑)

 当時は番組スタッフが事前に試して安全を確認することもなく、いわば芸人が最初のチャレンジャー。ゆえにどうなるかは出たとこ勝負で、結果“放送NG”となったケースもある。大きな筒に芸人が入り、高所から飛ばされる、「人間大砲」もそのひとつ。

たいてい僕が一番手なんですよね。このときも“まず松尾から!”と言われたけれど、誰も試していないから、どれだけ飛ぶかわからない。いざやってみたら、ピューッと思った以上に飛んで、下に敷いてあったマットの向こうに落ちちゃった。次に東国原(英夫)さんが飛んだら、今度は加減しすぎてマットの手前にちょんと落ちた(笑)。それでこれはやめようということになって

『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)の名物コーナー「熱湯コマーシャル」でも、松尾が一番手を務めている。

「本当に熱いのかなと思っていたら、これが想像以上に熱かった。実際に温度を測ったら、50℃あるじゃないですか。僕から始まり、軍団が順に入って、もう1度順番が回ってきた。誰も頭から行かなかったので、これは行っておいたほうがいいかなと思って、覚悟を決めてドボンと飛び込みました」

 とはすさまじいプロ根性だ。過酷ロケのエピソードは尽きることがない。冬はブリーフ一丁でスキーの雪山直滑降。夏は大量のヘビがうごめくプールでの水泳に、命の危機を感じたというサメが泳ぐ海へのダイブ。空手有段者との本気対決に、田んぼへの泥まみれジャンプ、大蛇の捕獲チャレンジ……。ブリーフにタランチュラを忍ばせたこともある。

「こいつらはプロだから」

「何が入っているでしょうかと当ててもらうクイズです。みんなタランチュラだってわかっているのに、面白がってなかなか当ててくれなくて。タランチュラはもぞもぞ動くし、もう脂汗が出ましたね」

 文字どおり命がけで、もはや芸人ではなくスタントマンレベル。コンプライアンス縛りの今では再現不可能で、大らかだった昭和の時代だからこそできた話といえよう。

「当時はグレーゾーンが多かった。とりあえずやってみて、ヤバければ中止、面白ければOK、なんてノリでした」

 だがいつの時代にもやはりうるさ型はいるもので、当時も「危険行為」としてやり玉に挙げられたことがある。

「PTAで問題になっているという話でした。そのときたけし師匠がラジオの生放送で、“軍団が危ないことをしてるって言うけど、こいつらはプロだから。やつらはこれで飯も食ってるし、一般の人と軍団のやっていることを同じに考えてほしくない”と言ってくれたんです。その言葉がすごかった。ただ熱湯風呂のプロってどうなのって、みんなで話し合いましたけど(笑)」

 芸人としては、笑いをとってナンボのもの。生傷は絶えずとも、やりがいはあった。

どんな大変な思いをしても、それで面白い画になればうれしかったし、そこでたけし師匠が“松尾情けねえな、何やってんだよ!”って笑ってくれるのが一番の褒め言葉でした。みんなが爆笑してくれれば大成功なわけで、だから多少の痛さも消えてしまう。でもシーンとしていると、たいした傷でなくてもすごく痛く感じるんです(笑)」

“ここで噛んでくれたら”

 芸人の頑張りが、バラエティー番組の隆盛を支えた昭和の時代。バラエティーのあり方が変わった今、当時をこう振り返る。

「キツかったけど、現場はめちゃくちゃ楽しかったですよ。あんなこと二度とやりたくないというロケもあるけど、いい経験になったとも思います。だから今はもうああいうことができないんだと思うと、ちょっと寂しい気持ちもあって。

 今はバラエティーも和やかで、動物と絡んでも“可愛いね”なんてロケが多くなりました。でもちらっと“ここで噛んでくれたらおいしいのにな、ちょっと引っかいてくれないかな”なんて思っちゃう自分がいる(笑)。そういう気持ちは60歳になった今も、やっぱり持ち続けていますよね」

一世を風靡した!1986年放送ドラマ

『男女7人夏物語』は最高視聴率31.7%をたたき出す大ヒットに。ほかにもドラマ『不適切にもほどがある!』阿部サダヲ演じる小川市郎が話題にした『毎度お騒がせします』(TBS系)は、下ネタとともに男女とも下着姿や半裸の入浴シーンが当たり前。
 また、神奈川県警横浜港警察署捜査課の刑事コンビ、タカこと鷹山敏樹(舘ひろし)とユージこと大下勇次(柴田恭兵)の破天荒な活躍を描いたドラマ、『あぶない刑事』(日本テレビ系)も国民的な人気に。今年の5月には映画『帰ってきた あぶない刑事』が封切られる。

誰もが知るアレも1986年に発売!

 1986年当時、900万台が普及していたといわれるファミコン黄金期の中、誕生したのが『ドラゴンクエスト』。漫画家の鳥山明デザインのキャラでも話題に。現在ドラクエは、80を超えるタイトルが発売されており、累計販売本数は8800万本を超える人気ぶりだ。
 富士フイルムが世界初のレンズ付きフィルム『写ルンです』を発売したのも1986年。まだカメラが高級品だった時代に、使い切りの手軽さで大ヒット。現在、若者を中心にレトロ感がウケて再流行している。


取材・文/小野寺悦子

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