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「母は私が始末しなきゃ」中卒からひきこもったものの見事に復活自立した40代女性が絶叫して荒れ狂ったワケ

プレジデントオンライン / 2024年3月23日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alexey_M

中卒後、家にひきこもった女性は17歳の時に一念発起し郵便局でアルバイトを始めた。叔父には無心され、精神病院に入院している母親からはパシリにされるなど苦難は続いたが、その後、理解あるパートナーに恵まれ精神的にも経済的にも自立できた。ところが、ある時、弁護士事務所から連絡があり、女性は心が激しく乱れ、ある“決心”をするに至った――。

前編はこちら

■群がるハイエナ

小・中学校時代、他の生徒からのいじめを受け、担任教師に不信感を抱いたこともあった蓼科里美さん(仮名・40代・独身)。いっしょに祖母宅に同居する自動車修理工の叔父は仕事で大怪我を負い、会社を辞め無収入に。度重なる近隣とのトラブルで母親も精神病院への措置入院となった。

ずっと心の安定を得られなかった蓼科さんは不登校のまま中学を卒業し、その後も家に引きこもり続けた。ただ、それでも時々遊びに来てくれる友人はおり、孤独ではなかった。

しかし、祖母の年金だけの3人暮らしは、苦しくなっていく一方。やがて17歳になった蓼科さんは、郵便局の短期バイトを始めることを決意。そこから少しずつ社会に慣れていく。

働き始めた蓼科さんを見て、祖母(70代)は心から安心したようだ。母親の代わりに蓼科さんを育てなければならないという責任から解き放たれたことで、気が抜けたのだろうか。「ラジオで自分の悪口を言っている」「お金がない」「物がなくなった」と騒ぐなど、この頃から祖母は認知症のような症状が見られ始める。

郵便局の短期バイトからスーパーでのアルバイトに変わった蓼科さんは、コツコツお金を貯め始めた。自分で自由になるお金を手にするようになり、行動範囲も視野も広がっていく。それでもまだ祖母の顔色を窺う癖は抜けず、祖母が信じる宗教の活動は続けていた。

20歳になった蓼科さんは、一人暮らしを開始。今度は製造系の会社でパートを始めた。一人暮らしを始めてからというもの、通う意味を見いだせなくなっていた蓼科さんは、祖母が信じる宗教の集会に行かなくなっていった。そのせいか、祖母から住所を聞き出した宗教団体が、頻繁に勧誘に来るようになった。

さらに、30代で怪我をしてから会社を辞め、引きこもりになっていた叔父が、時々やってきてはお金をせびるように。

「私だって低賃金でやりくりして生活しているのに、『姪にたかるなよ!』と情けなく思いましたが、私が貸せば祖母が楽になると思い、祖母への感謝のつもりでしぶしぶ貸していました」

■我慢の限界

極めつきは母親だった。精神科に入院している母親は、病院から蓼科さんに頻繁に電話をよこしてくるようになる。初めは特に要件はなく、娘を心配する母親の体で電話してきていた。

ところが、母親から電話がかかってくるようになって数カ月。「あれを買ってこい、これを買って病院に届けろ」という“パシリ”のような要件に変化していく。

「母は、労(いたわ)りとたかりが混ざったような電話をしてきましたし、叔父によるたかりも継続していました。母のきょうだいでまともなのは母より2歳上の伯母だけ。母も叔父も“子ども”だと思います」

蓼科さんは25歳になったとき、それまでの働きぶりが認められ、正社員となった。

そんな頃、いつもの母親の“パシリ電話”にうんざりした蓼科さんが文句を言うと、たちまち母親は激昂し、「寂しいんだよ!」と叫ぶ。これが蓼科さんにとっては火に油だった。

「人にものを頼む態度ではないばかりか、寂しいからだなんて言い訳、母に置いて行かれた私には通用しません。私が一生懸命に働いて稼いだお金が、私を育てなかった人のタバコ代に消え続けるなんて、考えただけでゾッとします。我慢の限界でした……」

苦悩に満ちている女性
写真=iStock.com/Alexey_M
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alexey_M

蓼科さんは、「なぜあなたにお金を出さなきゃならない? 出すならお祖母ちゃんに出す。あなたを母とは思っていない!」と怒鳴り、電話を切った。それ以来、母親からの電話は無視し続けた。

一方、姪にお金をたかっていた叔父だったが、お金の出処を疑った伯母にバレ、伯母が叔父を諌めてくれ、たかられなくなった。

「今思えば私は、母と叔父に対し、収入のある方が上だと、ひそかにマウントを取った気になっていたのかもしれません……」

以降、叔父は伯母の計らいで生活保護を受給している。

■修羅

それからしばらく経った2011年。突然、弁護士事務所から連絡があり、蓼科さん(37歳)は大きなショックを受ける。

長年別居状態だった継父を、母親(60歳)が包丁で刺したという知らせだった。

別居してから長年母親の成年後見人をしていた継父は重症を負い、「成年後見人を降りる。離婚する」と言っているとのこと。代わりに、「娘であるあなたが成年後見人になってくれませんか?」と事務所から蓼科さんに手紙で打診があったのだ。

蓼科さんは衝撃を受けた次の瞬間、母親から虐待を受けていたこと、そのことで感情的な葛藤があるため「断固拒否します」という内容の手紙を書いて送り、そのうえで電話をして断った。

事務所からの連絡を受けて以降、蓼科さんはこれまで出したことのない絶叫するなどして荒れ狂った。何もしていなくても勝手に涙が溢れ出て、止まらなくなった。

「いくら病気とはいえ、この母は社会ではとても生きていけない。あなたのことは私が始末しなきゃ」

「断固拒否」から一転、そう思い至った蓼科さんは、母親と暮らす家を探し始める。そこで人知れず母親を始末しようと考えていた。

それでも仕事中は平静を装い、がむしゃらに働き続けた。

そんな蓼科さんを救ってくれたのは、24歳の時に会社の同僚として知り合い、パートナーとして長年共に過ごしてきた8歳差の男性だった。パートナーの男性は、辛抱強く蓼科さんの話に耳を傾け、少しずつでも着実に蓼科さんが理性を取り戻すのを待ってくれた。

■蓼科家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

母親は、大学時代に出会った10歳ほど年上の大学職員と結婚したが、すぐに離婚となり、実家に戻った後、スナックで知り合った同じく10歳ほど上の男性とすぐに交際が始まった。母親からは、流されやすく場当たり的な様子=「短絡的思考」がうかがえる。

また、母親が子育てをしないため、祖母が代わりに蓼科さんを育てたわけだが、どう頑張っても祖母では年齢が違いすぎるせいもあり、幼稚園でも小学校でも、他の母親コミュニティに馴染めなかったであろうことは容易に想像がつく。

ましてや、母親が実家に戻ってからは、母親が頻繁に起こす近隣トラブルや仕事を辞めて引きこもり始めた叔父、祖母自身が信仰していた宗教などの事情も相まって、蓼科家は地域社会から断絶・孤立していたと考えられる。

最終的には蓼科さんが中学2年の時に、母親が起こした近隣トラブルのせいで母親は精神科に措置入院することとなったが、そのとき蓼科さんは母親を心底「恥ずかしい」と感じ憎んだ。

■虐待の連鎖

弁護士事務所から連絡を受け取り乱してしまったものの、その後約3カ月を費やし、ようやく理性と平静を取り戻した蓼科さん。若い頃にできなかった心理学やパソコンの勉強を始め、高卒認定を取り、産業カウンセラーの資格を取得。2021年には東京で開催された「子ども虐待防止策イベント2021in東京」にボランティアスタッフとして参加。そうした経験が功を奏し、これまで苦手と感じていた人付き合いを負担に感じることがなくなり、自ら積極的に関わることができるようになっていった。

「2018年に89歳で亡くなった祖母は母親の代わりに私を育ててくれましたが、祖父と折り合いが悪く、私が物心ついたときにはすでに別居状態。精神的に不安定な人で、世の中に不安ばかりを見つけては私に『社会は怖いところ』と思わせてきました。母もそうした祖父母のもとで育ったために精神を病んだのかもしれません。

幸いなことに、私は働き始めたことをきっかけに経済的にも精神的にも自立することができ、現在はメンタルも安定しています。虐待サバイバーさんがよくおっしゃる、ひどい事をされたのに“親だから憎めない”というジレンマが私にはなかったので、深刻にならずに済みました。母親代わりの祖母にも逆らうことができたこと、自分より母の方が幼稚だということを早くから見抜けていたことも良かったのかもしれません」

中学卒業後にしばらく引きこもっていた蓼科さんだったが、祖母の年金だけでは祖母と叔父と自分が食べていけない現実があり、アルバイトを始めるしかなかったことも、その後の人生を好転に向かわせた。

「学校ではいじめられてばかりの私でしたが、『まともな大人はそんなことをしない』『労働にはきちんと対価がある』『私は社会に必要とされている』とわかりました。こうした経験は、私にかけられた祖母の不安縛りを解きほぐす妙薬でした。私は社会に育ててもらったと思っています。子どもの目の前で家族が暴れたりののしり合いの喧嘩をしたりするのは立派な面前DVであり、そんな母とは同じにはなりたくない一心で生きてきました」

旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)
旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)

蓼科さんには長年連れ添ったパートナーがいるが、虐待の連鎖を恐れ、「子どもは産まない」とすでに20代前半の頃に決めていた。

「母はもう、生涯病院から出られないでしょう。そして私はこの先も母を『お母さん』と呼ぶことはないでしょう。私に親の愛情が必要なときにケアしてくれたのは祖母です。だから親愛の情が持てないのです。離れて暮らすのがお互いの安全のためだと思っています」

蓼科さんの母親は短絡的に思考停止し、寄ってくる男性に甘え、祖母に甘え、娘に甘えて生きてきたために虐待を連鎖させてしまったのではなかったか。蓼科さんのように冷静に親を、大人を、社会を見つめ、「ああはなりたくない、なるもんか」と自分を律して生きることが、連鎖を止めるためのひとつの回答なのかもしれない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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