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ソクラテスの「産婆術」、老子の「空虚のデザイン」…哲学者や思想家はいかに世界をアップデートしてきたか

集英社オンライン / 2024年3月6日 13時1分

哲学や思想をなぜ学ぶのか。それは現代社会をよりよく変えていくヒントが隠されているからだ。哲学者や思想家はずっと、その時代を支配する固定観念を壊し、新しい時代のあり方を模索し、提案してきた。実際に世界を変えてきた。『世界をアップデートする方法』を上梓したばかりの農業研究者、教育研究者の篠原信に、ノンフィクション作家の田崎健太が訊く。

哲学や思想を学ぶことは楽しい

農業研究者の篠原信が若年層に向けた哲学の入門書ともいうべき書籍の構想を思いついたのは、京都大学農学部在籍中のことだった。

「『ソフィーの世界』という本が話題になりました。難しい言葉を使わずに哲学を説明するという謳い文句だったんですが、あまり納得できなかった。個々の哲学者の言ったことは分かっても、だから結局、それが何になるというのか。哲学や思想をなぜ学ぶ必要があるのか、そもそもそこが分からない。私は、『あ、だから哲学・思想を学ぶのか!』が分かる本があればいいなと思ったんです」



『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』はノルウェーの哲学教師、ヨースタイン・ゴルデルが書いたファンタジー小説の体裁をとった少年少女向けの哲学入門書である。全世界で2300万部を売り上げ、日本でも1995年に翻訳本が発売されている。

当時、篠原は学業の傍ら、学習塾を運営していた。家庭教師、塾講師として働くならばともかく、自ら塾を運営する学生は稀である。なぜ自分でやったのですかと訊ねると、親に頼らず生活費を稼がなければならなかったんです、と肩をすくめた。

「毎月3000部の塾レポートを新聞の折り込みチラシとして配ってもらいました。優秀な生徒は他の塾に通っていて、うちに来たのはあまり勉強が出来ない子が多くて。ブルーオーシャン(競争の少ない市場)はそこしかなかった」

篠原信(写真/祐實知明・『kotoba』より)


篠原自身も子ども時代の成績は良くなかった。

「中学校のときの偏差値は52。塾に来る子どもたちがぼくよりも劣っているとは思わなかった」

彼ら、彼女たちと向き合って気がついたのは総じて勉強することを楽しんでいないことだった。

「勉強しろ、勉強しろと言われ続けてきたんでしょう。勉強しなかったらあーなるぞ、こーなるぞと脅されて。勉強に限らず脅されてやるのはつまらないですよね」

大学生時代、篠原は思想、哲学の本を読み耽っている。哲学や思想を学ぶことは楽しい。このことを伝えたいと考えた。

「勉強の中でも一番面白くないとされる哲学、思想さえ面白いなら、学ぶことはすべて面白いと思ってもらえると考えました」

その思いが結実したのが今回の『世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方』である。哲学者、思想家の名前は歴史の教科書に掲載されている。ぼくたちは彼らの功績という無味乾燥で退屈な「定義」を丸暗記しなければならなかった。篠原がこの本で意図したのは、哲学者、思想家に貼り付けられた無味なラベルを剥がすことだ。

誰もが新しい知を発見できる

例えば紀元前の哲学者、ソクラテスは教科書では「無知の知」を唱えた人間として定義されている。無知の知とは、真の知に至る出発点は無知を自覚すること、だ。

篠原はこの「無知の知」は興味深い考えではあるが、それほど重要だろうかと問うた上で、ソクラテスの凄さは「産婆術」であったと分析する。産婆術とは本来、助産師の技術を意味する。ソクラテスは「知識が生まれるのを手助けする」技術をそう呼んだのだ。

ソクラテスの「産婆術」(イラスト/中村隆・カバーイラストより)


〈ソクラテスは知識が豊富だったはずなのに、自分が説教するより若者から話を聞きたがった。若者に「ほう、それはどういうことだね?」と問う。すると若者はウンウン考えて答える。それに対して再び「ほう、それとこれを結びつけて考えるとどういうことになるだろう?」とさらに問うた。

これを繰り返していくと、若者は問いによって頭脳が刺激され、今まで考えたこともないアイディアが自分の口から飛び出してくることに驚いた。〉(本書より。以下同)

篠原は過去の賢人たちの思考、発想を十全に理解するには、時代背景を考慮しなければならないと考える。

「ソクラテス以前、知は天才だけが生み出されるものでした。ソクラテスが産婆術で示したのは、凡人同士でも問いを重ね、考えを深めることで新しい知を生み出せるという大発見だったんです」

また、この産婆術は、「弁証法」と表裏一体であると付け加える。

自らの無知を自覚し、外に心を開いている人間は問答を楽しむことができる。一方、心が閉じている人間は問答により、知識の窮屈さ、融通の効かない部分が明らかになる。これが弁証法である。ソクラテスは、知を特権階級から庶民に開放した哲学者だった。

「ソクラテスは、『知の民主化』を進めたとも言えます。訓練を受ければ凡人でも研究者になれますが、これも産婆術の成果と言えるでしょう」

時代背景と前提を考慮

篠原の興味はアジアの中国にも向かう。

西洋思想を一通り読んでみたが、「体形に合わない洋服を着せられたような心地悪さがあった」と振り返る。『老子』を手にとったとき、不思議な落ち着きを感じたという。

〈『老子』の面白いところは、「空虚のデザイン」という、非常にユニークな提案をしているところだろう。たとえば水に丸くなれ、四角くなれと命令してもそうはならず、殴っても蹴っても飛び散るだけに終わるだろう。しかし丸い器、四角い器という「空虚」を用意すると、水は自発的に空虚を埋めようとし、丸くなり、四角くなる。〉

この空虚のデザインという発想は篠原の専門である微生物研究にも共通する部分があった。彼は指導している学生にこんな問いを投げかけることがある。

――ここに邪魔な木の切り株がある。これを微生物の力で取り除いて欲しい。

ほとんどの学生は「木の成分を分解する微生物を見つけて、それを切り株にぶっかける」という答えを出す。しかし、この通りに実行すると土着の微生物に駆逐されてしまうという。

一つの答えは、切り株の周りに炭素以外の成分を含む肥料を撒くことだ。

「土着微生物は炭素さえあればパラダイスなのに、という一種の炭素欠乏症に陥ります。切り株は炭素の塊です。すると切り株から炭素を取り出すことが得意な土着微生物が動き出す。ほかの微生物は炭素の分け前をもらおうと、支援に回る。土着微生物の生態系全体が切り株を分解する方向に動き出すんです」

炭素が足りないという「空虚」を作り出すことで、意思のない微生物を自分たちの思うように動かしたのだ。

老子の「空虚のデザイン」(イラスト/中村隆・カバーイラストより)


このように過去の賢人たちの言葉には現代社会をより良く変えて行くヒントが隠されている。ただし、気をつけなければならないのは、哲学、思想はその人間が生きた時代という背景、前提を斟酌しなければ、誤った理解になってしまうことだ。

例えば、経済学の父であるアダム・スミスは経済は市場に任せた方がうまくいくという『神の手』(見えざる手)を唱えたことで知られる。しかし、この頃の国家はかなり強硬に経済に介入していた。

後の政府とはその度合いが違う。それにもかかわらず、自由主義、新自由主義者のように「神の手」を強調することは拡大解釈であり、アダム・スミスの意図とかけ離れていると篠原は疑問を呈する。

また、自分は得意とする分野に特化して、不得手な分野は他人に任せることで「ウィンウィン」の関係となるというリカードの「比較優位説」がある。これも「強い立場の人間が弱い立場の人間を困らせる」ことがないという前提条件が欠けてしまえば、貧富の差の拡大が促進される。比較優位説は悪用されやすいのだ。


文・構成/田崎健太(ノンフィクション作家)

(『kotoba』2024年春号より抜粋)

世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方

篠原信

2024年2月26日

1760円(税込)

四六判192ページ

ISBN:

978-4-7976-7442-2


世界を眺める解像度が一気に上がる。
哲学や思想を学ぶことは本来、とても面白い。それは、世界がどのように変遷してきたかがわかるから。本書の切り口は、哲学者や思想家たちの「常識破り」の作法。彼らは、当時の時代を支配する固定観念を壊し、新しい時代のあり方を提案してきた。そして実際に世界を変えてきた。
私たちが歴史から学ぶべきは、今の固定観念は何なのか、それを打ち破るにはどうしたらよいか、その作法を学ぶことだ。たとえば、現代のエネルギーやお金、労働などの常識は本当なのか? 現代の常識をイノベートするための一冊。

【目次より】
1 西洋哲学・思想 過去の常識を破り、新常識を創った人たち
・古代哲学・思想
ソクラテス 「知」を凡人のものに変えた
プラトン 国家を人の手でデザインする?
ほかにアリストテレス
・中世の哲学・思想
聖アウグスティヌス ビッグバンの元ネタ?
中世 キリスト教が支配する時代
ほかに十字軍、トマス・アクィナス
・ルネサンスの哲学・思想
ルネサンスと宗教改革 十字軍からの2つの革命
ボッカッチョ 世界史を変えたエロ本
ほかにコペルニクス、ガリレオ、ケプラー、モンテーニュ、デカルト
・近代の哲学・思想
ニュートン 宇宙は法則で支配されている
ルソー 民主主義を生み出した天才
ほかにカント、ヘーゲル、イギリスの哲学・思想、アダム・スミス、リカード
・産業革命以降の哲学・思想
ダーウィン 「弱肉強食」主義の蔓延
ロバート・オウエン 労働者も幸せに生きるために
ほかにマルクス、ニーチェ、フロイト、ユング
・現代の哲学・思想
ナチズムの登場 「理性教」への疑念
ケインズ 共産主義でも自由主義でもない「修正資本主義」
ほかにレイチェル・カーソン、カール・ポパー、ケネス・J・ガーゲン
2 東洋思想 再解釈を繰り返す思想
・中国哲学・思想
中国古典 いかに知恵を汲みとるか
孔子 礼の力を思い知らせた男
ほかに老子・荘子、韓非子、司馬遷『史記』、陽明学
3 最後に 現代の常識をイノベートするために

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