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二年目にして先発&ストッパーに大抜擢。広岡達朗が若き渡辺久信を見出した“偶然”

日刊SPA! / 2024年3月14日 15時51分

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『92歳、広岡達朗の正体』が3月14日に発売

現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売前から注目を集めている。
巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。

(以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋)

◆〜西武ライオンズ編 渡辺久信〜
「おい、渡辺が残っているじゃないか」広岡のひと言で決まった西武ライオン入団

広岡達朗は、記憶を紡ぎ出すようにしみじみ言った。

「渡辺久信(現西武ライオンズGM)というのは、あれは隠れ1位で獲ったんだけど、俺が言わなかったら西武に入ってなかったからな。確か最初は、ヤクルトに行った高野(光)を指名して抽選で外れたんだ。ウェイバー方式(戦力均衡化を図るため、最下位球団から順に選手を指名できるシステム)があったから、前年度日本一の西武は外れ一位指名が一番最後。会場のテーブルで資料見ていたら『おい、前橋工業の渡辺が残っているじゃないか』と言ったんだ。

もう指名されたと思って、抜け落ちていたんだな。とにかく、あいつはなんでも一番でないと気が済まないぐらい負けず嫌いで一生懸命やる男。ランニングでもいつも先頭に立って走っていた。だが、球はめっぽう速いものの変化球を放れない。でもこいつの性格なら、二軍に置いて鍛えて、時期が来れば一軍に上げりゃいいと思っていた」

1983年ドラフト1位で西武に入団した渡辺久信。甲子園には高校1年の夏しか出場していなかったが、“前橋工業に渡辺あり”と言われるほどの快速球投手として高校野球界に名を轟かせていた逸材だった。入団交渉時、長谷川スカウトの前に現れた渡辺は、頭に剃り込みを入れボンタンを羽織った純然たるヤンキースタイル。ヤンキー漫画『ビーバップハイスクール』全盛の時代だけあって、ちょっとヤンチャな高校生は短ラン、ボンタンに剃り込みを入れていたものだ。

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