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45歳で逝った出版社社長の「死を噛みしめた言葉」 本の制作に生きた男が残した1200の投稿

東洋経済オンライン / 2023年12月3日 12時0分

会社を辞して1人出版社を立ち上げようと考えたのは、それから6年過ぎて40歳になろうとする頃だった。2018年3月に退職し、翌月に自らの自宅を本拠とした「みずき書林」を立ち上げた。

1人出版社を志向したのは、経営と人事に割く時間を現場の仕事に充てたいという思いもあったからだと、たびたびブログで触れている。公式サイトの会社概要に理念を掲げた。

<人と人との対話を生みだすような本を作ること。
 それによって、自分自身とまわりの人たちが幸せになること。

 みずき書林はひとりで運営している小さな会社です。
 しかし、だからこそたくさんの人たちとつながっていることを感じていたいと思っています。
 本を読んでくださる読者の皆様、本を書いてくださる著者の方々、本を作るのに協力してくださるデザイナーや印刷・製本・製紙にたずさわる人たち、本を届けてくださる書店・流通の方々、およびさまざまな情報発信源の人びと。


 そういった多くの皆様と一緒に、楽しく豊かな思いをわかちあいながら生きていくことができればと考えています。>

(みずき書林「会社概要」より)

創業当初は順調だった

前職から引き継いだ企画もあり、創業からわずか4カ月で4冊の本を刊行した。それは岡田さんにみずき書林の方向性を決定づけたと言わせる4冊で、後のブログに最も多く登場する大川史織さんの書籍『マーシャル、父の戦場』も含まれる。第2次世界大戦末期に太平洋に浮かぶマーシャル諸島で餓死した佐藤冨五郎さんの日記を読み解く本だ。

<ここしばらく、僕はある人物の日記を、75年前の今日綴られた分だけを、毎日少しずつ読んでいくという経験をしている。
(略)
 その人はもう間もなく40歳になろうという日本人男性だ(そして結局、彼が40歳になることはなかった)。
 彼は日本軍の一兵士であり、父であり夫であり、つまりは無名のごく普通の人だった。
 彼は故郷を遠く離れた遠い南洋の地で、餓死した。
 75年前の4月25日が、彼が絶筆を綴った日になる。翌日、その人は死ぬ。
 もうすぐ、その日が来る。その日まで、日記は続く。>

(2020年3月17日/みずき書林ブログ「毎日、ひとの日記を読むこと(上)」より)

著者や編者だけでなく、冨五郎さんのように取材を通して一方的に知る人物にも、深く思いを馳せて営みを進めていける。そうした日々を渇望していた。

最初期のブログからは、資金や今後の展望などに不安を抱きつつも、思い描いていた仕事ができている高揚が伝わってくる。1年半後には、出版の専門家として大学の非常勤講師を務めるようになり、活動範囲も人のつながりも順調に広げていった様子だ。

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