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与力は賄賂で大儲け?江戸時代の「不正」驚く実態 都市行政に練達しているからこそ便宜を図られた

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 19時0分

江戸時代で行われていた隠蔽工作とは(写真:かたつむり/PIXTA)

歴史上、最も平和だったと言われることも多い江戸時代。しかし、内情を詳しく掘り下げてみると、賄賂や隠蔽工作など、現代にも通ずる悪事を行う者もいました。その実態はどのようなものだったのか、歴史家の安藤優一郎氏が解説します。

※本稿は安藤氏の新著『江戸時代はアンダーグラウンド』より、一部抜粋・再構成のうえお届けします。

都市行政のエキスパートだった与力・同心

江戸町奉行と並んで、時代劇の主役となることも多い町奉行所の与力と同心。実は、担当部署によってはかなりの役徳があった。南北両町奉行所にはおのおの、与力が25騎、同心が100人ずつ付属していた(延享2年(1745)に同心が20人ずつ増員)。

【表で理解】町奉行与力・同心の主な仕事

与力の家禄は、150~200石。同心は30俵2人扶持である。その組屋敷は八丁堀に置かれたため、八丁堀の旦那という異称もあった。合わせて300人近くいた与力・同心は、他の幕府役人とは違って、事実上世襲である。

親子代々にわたって与力・同心を務めたため、奉行所の職務に精通するエキスパートだった。かたや彼らのトップにあたる町奉行は、お裁きだけでなく都市行政全般、そして三奉行として寺社・勘定奉行とともに国政を担う立場であった。激務のあまり、在職中に死去する例も少なくない。

そのため、都市行政に練達している与力・同心をうまく使いこなせないと、町奉行としての職責は果たせなかった。町奉行の代名詞となっている捕り物や吟味にしても、実際には配下の吟味方(ぎんみかた)与力があたった。

奉行は訴状を読んで、どの与力に担当させるかを決めるだけで、お白洲でも与力が作成した判決文を申し渡すだけだった。町奉行所を動かしていたのは与力・同心なのである。

「賄賂」が収入の半分以上を占めた与力も

そんな町奉行所の実情を踏まえ、諸大名がとりわけ与力への付け届けを欠かさなかったことは、あまり知られていないかもしれない。

一見、大名と町奉行所与力は何の関係もないようにみえるが、大勢の家臣を江戸藩邸に常駐させた大名側としては、家臣が江戸市中で何か問題を起こすことを非常に危惧していた。

市中の評判となり表沙汰になると、大名の名前に傷が付くからだ。その時には、江戸市中の治安にあたる与力・同心の世話になる。大名の名前が表に出ず、一件が穏便に済むよう奔走してもらうため、前もって特定の与力に付け届けしておく必要があった。金品や国元の名産などを贈った。

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