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「エマニュエル」自らの快感を求める女性、人間同士が触れ合えないポストセックス社会も描く オドレイ・ディワン監督&湯山玲子対談

映画.com / 2025年1月11日 20時0分

 香港の高級ホテルは客を迎え入れる場所として完璧ですが、一旦外に出て、労働者が働いている場所にはやっぱり裏の顔がある――そういうこともきちんと見せたかったのです。

湯山:西洋文化の歴史の中で、高級ホテルとは格式がありながらも、貴族やブルジョワジーの秘め事、生々しい欲望の現場でした。今回の主人公、エマニュエルはそこの調査員という設定が効いていますね。快楽の主人公でありながら、観察者でもあるという。

ディワン:私にとって現代のホテルには、人工楽園、人工的に作られたパラダイスという側面があると思うのです。全てが整然として、完璧で。エマニュエルもそういう点を査定します。現代の人間の快楽は1つの定義しかなく、これこそがだれもが感じる幸福感、それを体現したのが高級ホテルである、そういう考えです。

 でも、エマニュエルはそれが人工的なものだと気づいて、息苦しくなってホテルから出ていきます。ホテルとエマニュエルという存在を平行に映し、両方とも全て完璧を求められているという意味では、同じではないか――そう見えるよう編集しました。ホテルの完璧さ、ノエミの完璧で毅然とした背筋をあえて対比させたのです。

▼セックスの商業主義への批判も

湯山:ホテルも含め、ポルノ産業もセックス関係のエンターテインメントも現代では全て商業主義化されてしまったことになったことに対する、批判精神も入れたのですね。

ディワン:はい。そして現代社会にはちょっとした偽善がありますよね。この映画で言うと例えばホテル内での売春も、見過ごしてあげましょうというような。見過ごす、ということは、許可されていることではない。そういうすれすれのところを、肉体的な快楽と言う部分で現代人はうまく泳いでいるのではないでしょうか。

 (劇中で客を相手に売春する)ゼルダは私にとっては自由を象徴している女性として描きました。彼女は何の束縛もなく、自分で自由を追い求めることができる女性として登場させています。決して消費される立場ではないのです。

湯山:確かに。その一方で彼女は「嵐が丘」の愛読者でもあります。ヒースクリフは荒ぶる男というか、旧体的なマスキュランの象徴みたいなものですよね。そこが面白い。自由を求めながらも女性の性的ファンタジーは別腹というか、マッチョ好きなところがありますからね。

ディワン:その通りです。

湯山:音楽も面白かった。ロマンチックではなく、ちょっとアブストラクトで。ヨルゴス・ランティモスの作品での常連音楽家、ジャースキン・ヘンドリクスのよう。物語を底上げしない、パラレルで、ちょっと冷静にさせるような音楽ですね。

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