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何も言えなくたっていい。「言葉にならない思い」にこそ真実があるのだから/『口の立つやつが勝つってことでいいのか』書評

日刊SPA! / 2024年3月5日 8時50分

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頭木弘樹・著『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 怒涛の勢いで入荷する新刊と格闘している最中、思わずこのタイトルを二度見した。

『口の立つやつが勝つってことでいいのか』。反射的に「すみません。良くはないです」と声に出しそうになる。そう、私はかなりの「口の立つやつ」なのである。大体のことは持ち前のひょうきんさと大阪弁にまかせて乗り切っている私だが、以前自分でも驚くような出来事があった。

 私の最も敬愛している作家が、自分の働いている書店に来店してくださるという。会うのは初めてではなかったけれど、それまでほとんど話す時間もなかった私にとってこんなチャンスはない。伝えたいことリストをまとめて準備を万端に整え、いざその時がきた。が、無念だった。何も言えなかったのだ。「新刊、良かったです」「とても売れています」。学生の頃から10年以上も好きな相手を目の前にして、言えたのはそれくらいのことだった。出版社の人が明らかに狼狽していた。普段からあんなに好きって言ってたのに、それだけ……?という声が聞こえるようだった。帰り道、爪痕を残せなかったショックで電車を乗り過ごした。

『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は、こういった「言葉にならない思い」にこそ大切なことが詰まっている、と気づかせてくれるエッセイ集だ。文学紹介者という肩書きを持つ著者の頭木弘樹さんは、20歳で潰瘍性大腸炎という難病を患う。その結果、言語化できない、どう説明しても人にはわかってもらいづらいことをたくさん経験してきたという。「説明できないことは、沈黙するしかない」ということも。

 そんな頭木さんだが、子供の頃は口が立つほうだったというから面白い。子供同士で喧嘩をしていて、先生が仲裁に入ると、うまく先生に説明をして潔白を証明できる頭木さんが有利になる。それで勝ってしまうのだが、言いくるめている自覚がある頭木さんは自分のインチキがわかっていたという。そして、何も言えずうなだれている相手に思いを馳せる。これでは腕力が強いやつが喧嘩に勝つのと同じ構造で、あまりに理不尽じゃないか、と。

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