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「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 7時0分

1浪で早稲田に入った西さん。その後の人生とは※写真はイメージです(写真: 8x10 / PIXTA)

現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」という人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。

今回は福岡県立筑紫丘高等学校から1浪して、早稲田大学に進学後、2留して中退。その後、家電量販店の仕事、印刷会社の営業、デイトレーダーや世論調査など、さまざまな仕事を経て、現在はIT通信関連会社の経営メンバーに加わっている西さん(仮名)に話を伺いました。

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母親が望んでいない姿になってしまった

今回お話を聞いた西さん(仮名)は、九州有数の進学校である福岡県立筑紫丘高等学校の出身です。名家の父母のもと、熱心な教育を受けて、名門校に進みました。

【写真】西さんはラグビー好きの家族の影響や、校風に憧れ、早稲田を目指した。

しかし、彼は現役の受験で失敗し、浪人を決意します。「初めて母親が望んでない姿になった」と語るこの1年は、「人生で初めて落ちこぼれだと思えた」そうです。

西さんは1浪の末、早稲田大学に進学。大学を中退しましたが、職業を転々としながらも、現在はIT通信関連会社の経営メンバーとして活躍しています。

彼は、浪人の1年をとても前向きに捉えていました。「これからの時代こそ、キャリアに浪人が必要です」と。

浪人の挫折を経て、彼がそう語れるようになった理由とは。西さんの波瀾万丈の半生を探ってみました。

西さんは、福岡県の大野城市に生まれました。両親ともに名家の生まれでしたが、2人ともそうした生活を嫌い、結婚してからは実家に帰らない暮らしを選んだそうです。

「父は博多織の製造元、母は地主である黒田藩の上級武士の家に生まれましたが、どちらも家を出ていたので、収入はあまりありませんでした」

父親は優しい人でしたが、お金を稼ぐことに罪悪感を覚える性格だったそうです。そのため、女子大を出てから公文式の先生をしていた母親が、家事をしながら家計を支えました。そうした家庭だからこそ、教育に関心が高く、家には子育てに関する本が大量に置いてありました。

「子どもの教育にものすごく熱心な家で、小学生のときがいちばん忙しかったですね。毎日公文式の宿題をこなしながら、バイオリンを週2回、サッカーを週5回練習する生活をすごしていました」

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