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新型コロナショック、感染者より大バカ者の拡大が止まらない

プレジデントオンライン / 2020年3月31日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/spyarm

■コロナ菌と言うやつらは一体何なんだ

私の近所のドラッグストアからティッシュとトイレットペーパーが消えそうになった時、氏名不詳の男が「何が起こるかわかりませんからねえ!」などと興奮しながら両手いっぱいにティッシュボックスを抱えてレジに並んでいた。危機の時、人間は多弁になる。「あ、情弱(情報弱者)だな」と思った。要するに日本の製紙能力を信用していないのである。そのうち、ネットで転売が続々と起こり、普段ウォッシュレットで事足りている分際で、その出品に大量に群がり、結果、ネットに転売目的で出品されたそれら商品は続々と削除された。果てはマスク転売に静岡県議会議員まで関与していたので、日本人もようよう終わりに近づきつつあると思った。花崗岩から発生するある種の放射線がコロナ予防に効く、という理由でまたぞろネットで出品が相次いだ。膝から崩れ落ちるとはこのことである。日本の理科教育とは何だったのか。

そもそも、この段階に及んで、ウイルスと細菌の区別がついていない人間が多すぎる。「コロナ菌」という会話が平然と行われている。何度も言うがコロナは菌ではなくウイルスである。

イベントは強行されたりされなかったりしたが、結局ほぼ全部取りやめになって興行界隈は悲鳴を上げている。日本での新型コロナによる致死率はせいぜい1~2%の間。三大疾病の方がよほど怖いと言っても、毎日テレビは「コロナコロナ」と言ってるので、老人層は恐慌に陥っている。パニックの前ではいかなる科学的数字の提示も意味を持たない、という事を思い知らされた。

■私の老母は毎日テレビを見ながら「死ぬ」と言って家に閉じこもった

ただでさえ経済が疲弊している北海道では知事が全国に先駆けて非常事態宣言を出した。鈴木直道知事の英断という声が強いが、私からすれば自殺行為である。私が子供のころ(30年前)、北海道の人口は約560万人だった。それが現在では約525万人にまで減少した。一方札幌市は約170万人だったのが約195万人を超え、地価は上昇を続けている。要するに極端な道都一極集中が起こっているのだが、その肝心の札幌の歓楽街から灯が消え、同市に住む私の老母は毎日テレビを見ながら「死ぬ」と言って家に閉じこもっているそうだ。札幌経済の死は北海道の死である。鈴木知事は北海道を縮小させたいのだろうか。なぜ経済を縮小させる人間を称賛するのか意味が分からない。

こういう時、老人層に「冷静になって数字をよく見てみよ。がんや脳卒中や心筋梗塞の方が怖かろう。なんなら交通事故死の方が遥かに多かろう」と言っても何の意味もないのである。「第二次世界大戦の敗北は軍事力の敗北であった以上に、私たち文化力の敗退であった」(意訳)とは、角川源義による名文であったが、これに当てはめると今次コロナ禍に付随するあらゆる過度なパニックと流言飛語とデマは、私たち日本の文化力、教育力、科学的思考力、理論的思考力すべての敗北である。

私たち日本人は戦後、いったい何を学び、何を教えられてきたのか。すべてが無駄であったとは思いたくないが、まるですべてが無駄のように思えてくる。

■飲み会をオンラインですることに噴飯した

とある、回らない寿司屋ではカウンター席の間に透明の仕切りが出来た、というニュースを朝日新聞が伝えていた。客同士の飛沫感染を防ぐため、という理由だが、板前やバイトが咳をしたら終わりで、科学的根拠はない。寿司屋に入る前に客が満員電車に乗っていてもすべてが終わりである。

だが満員電車は全く規制されていない。ただのポージングというか、自己満足に陥っている。本当に感染を徹底して防ぎたいのであれば、核シェルターかパニックルーム(非常時避難室)に籠るのが第一選択だ。しかし「唯一の被爆国」を標榜しておきながら、日本の標準的住宅の核シェルター配備率は世界的にみて飛びぬけて低く、またパニックルームの備えも基本的には無い。そういう危機の発想自体が日本の住宅構造の中にない。日本の住宅の危機意識は耐震一本槍である。だがこう言った根本的な事柄への議論は無い。なぜヒトはこんなにも愚かなのだろうか。

テレワークというのがまたぞろ推奨されている。私のような物書きは、10年前からテレワーク(電話で受注、メールで納品)をやっているから「何をいまさら」と思うが、これが濃厚接触を避けられて良いという。だが私からすれば、それで仕事ができるのなら、なぜコロナ禍の前からテレワークを実行しなかったのかと感ずる。要するに日本の職場の「通勤信仰」が強固なのである。果たしてこれまで通勤専従だった労働者が急にテレワークなる試みをして成功するかについては甚だ疑問である。

噴飯ものなのは企業内の飲み会をテレワークでやるというもの。最初聞いた際、何のことだか分からなかった。曰くチャットで参加者を全員繋いで宅飲みを相互中継するというものだ。何の意味があるのかよくわからない。そこまでするんだったら飲み会など辞めればよいのではないか、という意見が出ないところに翼賛的思想の残滓を感じる。要するに、テレワークなどと横文字を吹聴しておきながら発想自体は国家総動員体制のままなのである。滑稽だ。

■1930年代からまるで進歩がない。絶望である

ところがコロナ感染が拡大すると、こういった現象は日本人だけではないと分かる。次第に欧米の方が激烈だと判明する。買い占め、弾薬需要、デマ、トンデモ論の跋扈(ばっこ)は欧米の方が相対的に酷い。イタリアはEU圏内でただでさえ貧弱な工業力なのに生活必需品を除くすべての生産の停止を決断したそうだ。伊での新型コロナによる致死率は8%に上る。だがほとんどが高齢者で、コロナの問題というよりは社会の高齢化、老齢医療の不備が原因のようだ。

改めて私は今次の新型コロナ禍で西欧近代の死を思い知った。西欧の文明国があれほど狼狽する。NYダウは目も当てられない。日本よりも遥かに厳格なヒト・モノの規制を徹底するが、あまり効いていない。自分で自分の首を絞めている。

世界経済の減速は恐らく今年戦後最悪になり、来年まで引きずるだろう。100年前のパンデミック、スペイン風邪の教訓がまるで生きていない。スペイン風邪は全世界で約6億人が罹患し2000~4000万人が死んだが、ウイルスを顕微鏡で観測することすらできなかった当時の人類は、結局免疫と感染者が獲得した抗体による自然回復で乗り切った。パンデミックに抗する術は、抗体ができるまで泰然自若としているしかないのである。

一方、人の移動と情報伝達が格段に速くなっているので、流言飛語やパニックは100年前より当然早く拡散する。結局、1世紀経って人類の進歩は何もない。オーソン・ウェルズ原作のラジオで「火星人の襲来」という嘘台本を読み、それを本気で信じた1930年代ともまるで進歩が無い。絶望である。

■日本人は自虐的健忘症に陥りやすい

結局、この問題は死生観の問題である。国や地域による致死率の振幅は置いておくとしても、ヒトは何で死を迎えるか、ということを考える良い機会にはなった。

ヒトの死の原因は、第二次大戦後までほとんどが結核を中心とする感染症であった。例えば1930年代、日本人の全死因の6割が結核を含めた感染症であった。公衆衛生が発達したため、その原因が三大疾病にとって代わらるのはおおむね1950年代以降のお話である。人類の伝統的な死因はやはり様々な感染症だ。

実は人類史に於いて、死因の一位が感染症で「なかった」時代はここ60~70年に過ぎない。ヒトはほとんど、感染に依らない内臓疾患に罹って病床で死ぬ、という固定観念は、全く新しい概念なのだ。その死因の中に、現在僅かばかり感染症の比率が高くなっているというだけのお話である。

それを恐慌とみるか、繰り返されてきた人類史中の「感染症との闘い」のひとつとみるか。歴史を顧みれば顧みるほど後者の見方を採り泰然自若としていられると思うのだが、どうも日本人を含めた人類は健忘症に陥りやすいようだ。しかも自虐的健忘症に。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。

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(文筆家 古谷 経衡)

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