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歌手・由紀さおりさんの元気の源はチャレンジ 「目標に向って決して諦めないこと」【生きるクスリ】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年4月17日 9時26分

 その後、しばらくしてピンク・マルティーニとのカバーアルバム制作のアイデアが出てスタッフが何度もメールのやりとりをしたのですが、具体的に進まない状況が続き、スタッフが一度打ち合わせに会いに行きました。そんなさなかに震災が起きるわけです。仕事は震災ですべてなくなりましたから、自分でポートランドまで行って確かめたいと思い立つんです。私に不動産関係の知り合いがいて、その方が海外の賃貸契約を確認するのにポートランドにも定期的に出かけているという話を聞いていました。そして、その方が利用している旅行会社の日本人の担当がピアノのトーマスさんととても仲がいいということもわかった。

 私がスタッフにポートランドに行きたいと直訴したら、トーマスさんと仲がいい人がいるなら一人でも大丈夫だろうと理解してくれて、出かける準備を始めました。それでその方に連絡したら、電話が通じて「新幹線の中から話してます」というじゃないですか。「どうしたんですか」と聞いたら、「ポートランドの日系人の方を旅行に連れてきている」と。

 私はトーマスさんに会いたいとお願いしました。聞けば、その人はフジテレビで放送された「オレゴンから愛」を撮っていた時に仕切っていた旅行会社の社員で、3.11で被災した人のためのチャリティーコンサートをやることになっている、それをプロデュースするのがトーマスさんだというのです。もうトントン拍子に話がつながりました。

 それならとポートランドに出かけ、トーマスさんのピアノで「夜明けのスキャット」「故郷」「赤とんぼ」を歌いました。それが認めてもらえるかどうかで彼らとコラボできるか決まると思ったので、ものすごく緊張したのを覚えています。トーマスさんに「2日間くらいポートランドに残ることができるか」と言われた時はホッとして、「大丈夫」と即答していました。

 仕事は何もないわけですから、GWに10日くらい、またアルバムのレコーディングのためにポートランドに来ることを約束しました。トーマスさんもレコーディングできるのはその10日間だけということでした。私は出かけて行って、残りの曲を全部レコーディングして帰ってきました。

「1969」はジャズチャート1位になり、世界的なヒットになったわけだけど、そもそもは新幹線にいた神様が接点をつくってくださったこと、私の友人の友人がトーマスさんと私をつなぐ役割をしてくれたことで実現したアルバムです。彼らを知ってから完成するまで3年くらいかかりましたが、やはり諦めなかったから実現できたことだと思います。

三味線で一人芝居を始めた延長線上に「チントンシャンソン」

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