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「ピアノ・レッスン」30年前に撮られたすごい映画 普通とはちがうコミュニケーションで発情する二人、それぞれの人生の孤独【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年3月30日 22時30分

▼非言語的な表現の秀逸さ、一筋縄ではいかない細部がたまらない

 フローラの父親である男がまったく登場しないように、エイダの結婚を決めてきたエイダの父も画面に登場しないのですが(もしかしたらエイダの父とフローラの父親は同じ男で、エイダが6歳の時に起きたことはフローラが生まれるまで続いたのかもしれません。というか、そういう裏設定なのかもしれないと僕は勝手に解釈したのですが)エイダの父は口をきかない未婚シングルマザーである娘を、とにかく遠い海の彼方に厄介ばらいしたかったのでしょう。エイダはいつも怒ったような顔をしています。この彼女の表情を見るだけでも、この30年前の映画を今、観る意味があります。

 航海の末にエイダとフローラとエイダのピアノはニュージーランドにたどり着きますが、浜辺まで迎えに来た、ここで初めて会う夫スチュアート(サム・ニール)は「服や食器のほうが大切だろう、ピアノは重いから置いていこう」と言ってしまい、もちろんエイダは激怒します。ピアノで奏でる音楽はエイダの心の嘘のない言葉だからです。

 フローラはまだ小学校低学年くらいですが、エイダと同じビクトリア朝の女性のおめかしをしてて、この二人は母娘というより分身のように見えるカットがあります。じっさいエイダの手話がわかるのは初めはフローラだけで意思の通訳のようなこともします。いっぽう妻になる人に愛されようと髪をなでつけたりしてるスチュワートのうしろには、半裸におんぼろシルクハットをかぶっておどけた先住民の若者がくっついててこれまた分身にしか見えないカットがあり、こういう説明をしちゃうとヤボなんだけどとにかく非言語的に「なんかある…」と思わせる異常に印象的なカットだらけで、この監督、ただ者じゃないです。

 先住民の人夫たちのなかに、もう一人奇妙な男がいます。白人なんだけど顔に先住民たちと同じ刺青(いれずみ)を入れてて、人足の頭(かしら)のようですがスチュワートの友達みたいな態度です。ハーヴェイ・カイテル演じるベインズです。やはりイギリスから入植してきて、なにかの理由で西欧人として生きるのをやめたのでしょう。その理由も説明されません(妻はイギリスに置いてきた、みたいなセリフは後であります)。逆にスチュワートたちの一族は、郷に入って郷に従わず、英国文化にこだわって生きています。

 いちおう夫婦としての生活が始まりましたが、エイダはスチュワートに心を許しません(たぶん、体も許していません)。フローラに弾いて聴かせてあげたいのに、ピアノは浜辺に打ち捨てられたままです。

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