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「苦しいことのほうが多かった」 37歳の陽岱鋼が口にした巨人への感謝「5年間がなかったら…」

THE ANSWER / 2024年4月30日 6時44分

自主練習でバットを振る陽。巨人で苦しんだことも糧になっている【写真・羽鳥慶太】

■オイシックス入りの陽岱鋼、日本ハム退団後の日々は「成長する種」

 プロ野球の2軍に今季から参加したオイシックスで、大きな話題となっているのが日本ハムと巨人でプレーした陽岱鋼外野手の加入だ。2016年のオフ、日本ハムからFA宣言した際はチームから「卒業」との言葉をかけられ号泣。その後巨人に移籍し、米独立リーグなどを経て3年ぶりに日本へ戻ってきた。37歳になった今、芽生えた感謝の念があるという。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

 NPBで通算1164安打を残した陽の全盛期は日本ハム時代だった。遊撃手として入団したものの、守備の不安から外野に回り開花した。2010年には定位置を確保し、盗塁王1回、ゴールデングラブ賞4回。高い身体能力を生かした外野守備にも、一発長打を秘めた打撃にも華があった。

 チームが日本一になった2016年のオフにFA宣言。その会見の席で、人目もはばからず涙を流し、球団幹部からは「卒業おめでとう」と声をかけられた。そして居場所を求めて移籍した巨人での5年間は、思い描いたようなものではなかった。1軍での最多出場は2019年の110試合。2021年にはわずか7試合出場に終わった。経験のなかった一塁も守った。

 ただ陽は、その時期も糧にして今の自分があると感じている。「苦しいことの方が多かったかもしれませんね。2軍生活もめちゃくちゃ長かった。でも、苦しいことは自分が成長する種になるんですよ。逃げるんじゃなくて、受け止めるんです」。時間が経った今だからこそ、口にできる感情だ。

「日本ハムが終わって巨人に行って、自分の中では全く違うスタイルの野球をやっていた。巨人での5年間がなかったら、今もうプレーしていないと思うんですよ。規則正しい練習の中で、5年間やらせていただいた。だから今でも動けるんだと思っています」


巨人時代から使い続ける陽のグラブには感謝の文字が【写真・羽鳥慶太】

■日本でのプレーは20年目「プロに行けるなんて思っていなかった」

 どんなことにも、複数の視点や意味がある。規律を重視する巨人にいたからこそ、37歳になる今も現役でプレーできているというのだ。その“効果”は、退団後に自覚した。2022年からの2年間、米国でのプレーの合間に豪州独立リーグにも参加し、文字通り休みがなかった。ところが30代後半を迎えた肉体は、悲鳴を上げる間もなく耐えきった。

「さすがに、1年間ずっと野球をやっているのは初めてでしたからね。疲れとか、感じる暇もないというか、忘れてしまうんですよ。2月、3月に短いオフがあって、そこで初めて『疲れたな』と」

 福岡第一高での3年、日本ハムでの11年、巨人での5年。そして今年と、日本での暮らしは20年になろうとしている。台湾・台東生まれの少年が日本に行こうと決断した時、こんな未来は描いていたのだろうか。「もう(日本に来たのは)20年以上前になりますよね。このチームには、その頃まだ生まれていない選手も多い」と笑いながら陽は続ける。

「まず、プロに行けるなんて思っていなかった。高校、大学に行ってその先に社会人があればいいなと思っていたくらい。高校2年生の頃かな。プロのスカウトが見に来てくれるようになったんですけど、最初はうちのチームのエースを見に来ているのかなと思っていたくらいで……」

 愛用のグラブには「感謝の気持ち」という刺繍が入る。想像もつかなかった野球人生を、37歳になった今も続けていこうとする原動力はどこにあるのだろうか。

「野球を愛しているんですよね。自分が好きだからやりたいし、うまくなりたい、今でもそう思っています。あとは家族ですよね。後押ししてくれるのは本当に大きいですし、台湾に残している妻や子どものためにも活躍しないといけない。行かせてくれている以上は活躍しないといけないと思っています」

 もし現役を終えるという考えが頭をよぎるとすれば、何がきっかけになるのだろう。不躾な質問にも、即答だった。「全力プレーだけは変えちゃいけないと思っています。もし全力でできないなと思うことがあれば、辞める時でしょうね」。今も抱き続ける信念は、日本ハムの2軍にいたころに身につけたものだ。


陽(右)は新しいチームメートにアドバイスを送る姿も目に付く【写真・羽鳥慶太】

■ドラフト指名目指す若手に贈る言葉と、初心を思い出させてくれた同期

 陽は決して、順調にレギュラーをつかんだ選手ではない。プロ入りから4年間は、2軍で過ごした時間のほうが長かった。千葉県鎌ケ谷市に本拠地を置く日本ハムの2軍で、泥にまみれた。両打ちへの挑戦や外野へのコンバートなど、様々な経験を経て成長していった。その目に、オイシックスからNPBのドラフト指名を目指す“原石”はどのように映るのだろう。

「能力を持っている選手はたくさんいる。僕の若い頃みたいに野性的だなと思う選手もいますし、すごいなと思わせてくれる選手もいますよ。でも目指しているところはその上にあるって、みんな知っている。いい暮らしをしたいと思えば努力するしかない」

 では、陽が本気で努力し始めたのはどのタイミングだったのか。最大のモチベーションは、2008年オフの結婚だったという。

「結婚して責任感を持ったのが大きかった。妻に良い生活をさせたければ、自分が頑張って、結果を出すしかない。残せれば給料も上がるし、ファンも覚えてくれる。それがプロの世界だから」

 オイシックスには、陽に文字通りの初心を思い出させてくれる人物もいた。武田勝投手コーチは年齢こそ8つ上だが、2006年に日本ハム入りした同期だ。「最初は勝さんがいるって、知らなかったんですよ。ある時集合写真を見たら『あれ? これ勝さん?』って。まさかここで会うとはね……」と愉快そうに笑う。人のつながりにも導かれて始まる日本20年目。どんな足跡を残していくのか。(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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