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3浪早大「一族から大卒者を」親の期待に抱く葛藤 福岡県の名門高校「修猷館」に進学したが…

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 7時30分

福岡名門高校に進んだ澤木さんだったが…。写真はイメージ。(写真:kapinon / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、福岡の名門・修猷館高等学校から体育教師を目指し、現役で福岡大学体育学部に進学するも、サッカー部のレベルの高さに挫折し中退。その後1日20時間勉強して3浪の年齢で早稲田大学政治経済学部に入学。卒業後、読売新聞社に12年勤め、現在は新橋で串揚げ専門店「新橋串揚げの店 夏色」を経営している澤木祐介さんにお話を伺いました。

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大卒者がいない家庭、親は大学進学を熱望

多くの人が浪人を長引かせる理由はたくさんあります。

【写真】卒業後はマスコミに就職。現在は新橋で串揚げ屋を営む。

モチベーションの低下、自分の学力と比べて偏差値が高すぎる志望校、経済的理由で勉強時間が取れないことなど。

その中の1つとして考えられるものに「親の期待」があります。

今回お話を聞いた澤木祐介さんも、一家に大卒者がいない家庭から大学に進学・卒業することを期待され、一度大学を辞めたにもかかわらず、3浪の年齢でふたたび大学受験をしました。

「父親に才能がないと、諦めてもらうため」に勉強していた彼は、1日20時間もの猛勉強のすえに、1年で偏差値を30上げ、私立大学最難関学部の早稲田大学政治経済学部に合格したのです。

どうして彼は、乗り気ではなかった大学受験を頑張ることができたのでしょうか。

澤木さんは石油運送会社で職場結婚をした高卒の父親と母親のもと、福岡県福岡市に生まれました。2歳からは山口県の小野田市(現・山陽小野田市)に引っ越し、小学2年生からは東京の大田区に移って、中学2年生で、ふたたび福岡に帰ってくるという転勤族でした。

小学校のときの成績は中の上で決して悪くはありませんでしたが、どうしても一族から大卒者を出したかった彼の父親は、最高学年となった彼に“特別講義”を実施します。

「6年生の最後のほうになってから、親父に『ちょっと座れ』と言われて、2時間くらい話を聞かされたんです。日本社会は大卒者が出世してお金を稼ぐ仕組みだから、いい大学に行けという内容でした。私はそれまで勉強をほとんどしたことがなかったのですが、その言葉が響いて、参考書を買ってやりこむようになりました」

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